勇気を出して話そう。とにかく話そう。ーー秋の月、風の夜(64)
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歩きながら高橋はつづけた、「においというのは、粒なんだ。粘膜に粒が直接くっつくことで、においが脳を直撃する。だから人間への影響は、とても大きい。四郎は、がまんしちゃいけないんだ。ほかの人間も、気づけてなくても確実に影響は受ける。四郎の感覚が本来なんだ。
それはね、四郎が感じ取って、伝えることが“プラスになる”ってわかっていれば、奈々ちゃんを傷つけないし、奈々ちゃんのためにもいい。わかる?」
「あっ、私だいぶにおいに鈍感だっての、わかります」
「才能やその人の強みを生かすには、“自分にしかできないこと、その人にしかできないことってなんだろう”と考えることだ。四郎のハナのよさは、神様からのプレゼントだから、活かす方向で」
四郎は黙りこくっていた。山犬のような性質が、神様からのプレゼント?
奈々瀬は前を歩く高橋に、声をかけた。「あとあの、脱線してもいいですか? すごく言いづらいんだけど」
「してして」高橋は愉快そうに言う。「論点が枝葉へ流れて、また本流へ戻っていくのは、僕は大好きだ。だから安心して脱線して。思いついたことをどんどん、体の外へ出して。
四郎も聞いてて、会話に混じるんだよ。
何を言っても、この三人の中では、安全を保つようにお互い努力しよう。言えばいうほど練習になって、とてもいいから」
「……わかった」
三人の中では最も口数の少ない四郎が、返事をした。
奈々瀬は口を開いた。
「あの、今思ったのは、持ち出したくないテーマも持ち出さなきゃ、三人の結末が大変なことになっちゃうんだな、ってこと……
高橋さんは生涯ひとりの親友を失って、発狂恐怖に飲み込まれて一人で苦しむことになっちゃう。
私は大好きな人に殺される形で、たぶん十八歳とか二十歳とかで、人生が終わっちゃう。
四郎は人を殺しちゃうっていう、ご先祖さまと同じルートをたどって人生が台無しになって、刑務所の中で長い人生を送らなきゃいけないか、ご先祖さまたちに振り回されていくと連続殺人に発展するから、死刑になっちゃう。
三人とも、結末が最悪になってしまうんですよね。
その最悪を避けるためなら、いろいろ話題に出すぐらい、なんでもないことなんだから、しなくちゃなって」
そしてうつむいて、ふーーっと息を吐いた。
「いいこと言うねーー」高橋は感動の声をあげた。
「だからさ四郎、三人でどんどん、デリカシーのない領域に踏み込んでしまおう。覚悟ができてりゃ、なんだってへっちゃらだ。それと同時に、十六歳の女の子が直面すべきじゃないところに直面させられた傷つきのケアは、僕と一緒にしよう。四郎も、四郎の感受性の鋭さから、どんどん傷ついてしまう。ケアは僕と一緒にしよう。僕はもうすでに、深い信頼でこういう話ができる相手が二人もいるってことに、非常になぐさめられている。ふたりとも、ありがとう」
「そうか、ありがとうなんか」四郎はいきなり、ほっとした声を出した。「んでもなあ、俺すっごい異常やん」
高橋は太い眉を上げて答えた。
「お前の先祖が殺しだのなんだのを重ねてしまっただけで、頼んで生まれさせてもらったわけではない。そこは相当戻ってくるまでは、他人のせい環境のせいにしておけ。大事なのは中盤から仕上げにかけて自己責任を全うできることであって、土台が傷だらけな初期状態から自己責任を全うすることは、いっこも大事ではない」
「それでええの? すごい卑怯な感じやん」
「卑怯でもなんでもいい、どんな手を使ってもいい、戻ってこい。大事なのは最悪の結末を避けることだけだ」
「わかった、戻るために卑怯な手段、使う」
「決めたらかっこいいな、四郎は」高橋はほがらかに笑った。八重歯がのぞいた。
「なんかな、ご先祖さまのこの感覚、山犬みたいなんやて……」
「吸血鬼か食人鬼か狼みたいな感じ? 峰の先祖返りは、正徳寺のおじいさん和尚が、山犬か、ましらのごとしと言ってた」
「あ、ああ、うん」四郎は自分の身をつかみしめた。
高橋はそんな四郎を眺めながら、奈々瀬に伝えた。「実は樫村譲(じょう)さん……楷由社(かいゆうしゃ)の社長に、四郎を宮垣耕造先生に会わせてくれるよう頼んである。打開策になるかもしれないが、だめだったら次を当たらねばならない」
「すごく強い武術家で治療家ですよね、黒人ボクサーとかロシアの軍人さんとかと戦ったことがあって。全国に武術教室がある先生」奈々瀬は目を大きく見開いた。「どんなことになるんですか」
「わからない」高橋がめずらしく、動揺した声で言った。「僕もその先がわからないんだ」
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