はたちぐらいで、抑えがきかなくなるのだな。 ーー成長小説・秋の月、風の夜(98)
#19 タイムリミット
「お支払い忘れとって、ごめんなさい」
封筒に入れた初回診療代を渡す。
「律儀な面は、よその使いどころで使え」宮垣は四郎の出した封筒をポケットにつっこんだ。
「私といるときは、気楽に無礼に、はめをはずすぐらいにナ。お前さんが若くして体を壊すところなんざ、見たくないんだ。年を越えておれおまえが、ちょうどいい。鹿野からも岐阜弁でしゃべらせてやってくれと言われている話は、したかな。敬語は標準語だから、混じるとおちつかん。うんだのああだの、対等に武芸を語る仲間として口きいてくれ。そうだな嶺生(ねおい)くん、名前で四郎と呼ばせな」
「はい」
「はいだと、なついてくれた気がせんよ。うんでいい」
何度も言われている。
何度も言わせるな、という父の罵声を思い出し、四郎は身を固くした。
予想に反して宮垣は、定着するまで何度でもはじめてのように言うことを、訓練しているようだった。武術教室を大きくしただけのことはあった。
「厳しく折檻されて立てつけられた、心の壁だ。少しずつでも、はがれるといい。俺は、さびしがりやだ」
そうつぶやいた。
ほっとさせるつぶやきだった。
合気道の藤平先生が、今はご当代の息子さんに靴をそろえさせるとき、なんどもなんどもやさしく教えた、とのエピソードを、四郎はふと思い出した。
店舗部から住居部にまたもや移って、ごちゃごちゃしたところを二人で片づけた。
「あのこれ、母といとこが丸めた月見団子」四郎は月見団子を出した。
鞄の中できゅーっと、入れ物の片方によってしまっていた。
「へえー、こりゃあ珍しい」
「あぶって醤油です」
いいなあ手作りのものは、と宮垣はつぶやいた。
四郎はなんとなく、宮垣の孤独と人恋しさに触れた気がした。で、酒を出してみた。
「おう、呑む気になったか」
「まだ俺は、未成年やもんで、遠慮しときます」
「なんださびしいな。封切らずに飾っとくぞ。ですますはやめちまえ。小学生の孫みたいに、なついてくれ、四郎。ナ」
「はい……ああ、うん。はたちになったら、飲んでも人を傷せやへんてってわかったら、一緒に呑ませてくだれ……ますか」
言ってみればみるほど、語尾がなんともおちつかない。おちつかなさすぎる。
「目上を敬えと、殴る蹴るで強いられたクチだな」
四郎は黙ってうなずいた。
「身内では、師匠は誰だった」
「祖父です」
「その人にも、はいと返事をしていたのか」
「はい……うん」
「切腹作法をちゃんと習ったクチだな、教えたのはおじいさんか」
「……うん」
宮垣は黙った。「介錯のシミュレーションまでさせている。恐ろしいと自覚せず意地で呑み込みきったろう」
四郎は「……うん」と、かぼそい声で返事をした。
こわかったろうと言わないところが、さすが宮垣は武芸者だった。
「酒は、成人の祝いに一緒に飲むか。いつ、はたちだ」
「来年の、五月二十三日」
「よしわかった。間に合わせてやる、一年かからんぞ。待ち遠しいな」宮垣は、朗らかに笑った。
☆
「間に合わせる」という言葉を聞いた四郎は、急に、高橋に伝えるように念押しされたことを思い出した。
「あっ、俺、タイムリミットの話せんならん」
自分のことは価値なしと放り出す悪い癖がそのままなのだろう、すっかり忘れていた。高橋があんなに念押ししてくれたのに。
「それは、なんだい」
宮垣がたずねる。
「あの、俺んなかの先祖返り…… ”奥の人” んらが生きとんさるとき、いずれも数えのはたちぐらいで、女のひと襲って人斬って、夜歩いて十何人も殺いて身内に始末されて。俺いま満十九歳やもんで、数えのはたちで、もうすぐ」
「そうか、正気をなくしちまう、タイムリミットのようなものがあるのか。……ちょっと、腰椎と頸椎を触らせな。後ろ向きで、あぐらかいてくれ」
「はい……うん」
腰椎と頸椎に宮垣の指がふれ、四郎はビクっと動いた。
「イヤだろうな。ゆるせよ」と宮垣は言いながら、脊椎四番五番あたりから、とんとんと軽くタップして質問をかけていく。筋反射のかわりにタップのひびきぐあいとどこおりぐあいで、YES-NOの回答を取っているらしかった。
「そうだな。……はたちあたりで、抑えがきかなくなるのだな。先祖返りにあたらぬご先祖と、先祖返りというご先祖の間には、性質に、違いがあるのか。うーん、優秀なリーダーと手ひどいごみ箱役がかぶっているのか。人柱とリーダーを分けんだけ、救いようがあるとも、ないともいえるわナ。
……どう、時間稼ぎをすりゃあ、いいか……
ハハア、ご先祖の憑依が増えれば増えるほど、持ちこたえられなくなっていったか。
じゃあ、昨日ごっそり憑依を減らしてやった、今のこの体のタイムリミットは、いつごろだ。
……それでもまだ二十才ごろか、あきれたもんだなご先祖さんよ。
あんまり、時間稼ぎになっちゃあいないな。
苦しかろう。もうちょっと軽くすりゃあ、二十二か三まで延びるか?
延びるか……
奥の人というのか……奥のほうの、まるで魔物のかたまりが渦みてえになっちまってる、四-五代おきのご先祖が、ご先祖返りか。
……四郎の属性も、こんな意地みたいなセパレートを懸命にかけてなきゃあ、あっけなく魔物みたいなもんになるんか。
……かわいそうに」
まるでそれは、四郎じしんが対話不能な、四郎じしんの体・たましいの奥底と、タップで会話をしているようにも感じられた。
四郎は、なるべくゆっくり深い息をしながら、宮垣が触れ続けることに耐えた。
「だいたい、わかった。タイムリミットはうまくすりゃあ、数か月ずつのばしてやれる。ちょっと追っかけっこになるかもしれん。週二なんて呑気なこと言ってる場合じゃないのだな」
こくりと、四郎はうなずいた。
「そう、おどろかねえから、自分の切羽詰まってることは、一刻もはやく人に教えるようにするといい」
またこくりと、四郎はうなずいた。気づいて、宮垣は触れるのをやめた。ふーっ、と四郎がやっとこさ息をついて「そうします」と言った。
いのちが、のびた。
それはまっすぐであかるくてのびやかなものではなくって、どうしていいかわからぬとまどいと、ないまぜになっていた。
次の段:命には、かえてもらわなくてもいいです。ーー成長小説・秋の月、風の夜(99)へ
前の段:あきらめない人になりたい。 ーー成長小説・秋の月、風の夜(97)へ
マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介