ただ一度の (2020年5月3日)
春休み前から学校行く必要がなくて、本当によかった。
生協さんと、回覧板のおじさん・おばさん以外の誰とも、お姉ちゃんと弟くんはずっと会っていないから。
これによって、どういうことが言えるかというと、
「今日、お父さんに会いに行っても、絶対お父さんに何もうつさない」ということ。
「僕の、私の、せいで感染症がらみの ”なにか” がおこる、
なんてことは100パーセントない」と、自信を持って安心していられる。
というわけだった。
この2人は究極のインドア派だ。
僕は「この子たちはもう少し外へ出たがってもいいんじゃないか」「外へちょっと連れ出すべきか」なんて春休み前からの臨時休校期間中ブレてたのだけれど、2人は、「いいからいいから」と言って、外に出なかった。
そうして、今日の特別面会を迎えた。
僕らは満を持して、会いました。
お話をして、ノートの切れ端で折り紙を折って置いてきて、二人とパパさんの特別面会は、終わりました。
……さかのぼって、昨日の、本人意向の確認。
--人工呼吸の管の穴は、あけますか?
いいえ。そこまでは、いらないです。酸素の鼻と口全部のマスクと酸素量最大まででいいです。
--心臓マッサージは、しますか?
(パパさん、僕は個人的にはね、マッサージといいながら肋骨折れちゃうような、痣がとんでもないつき方するような、そういうマッサージは、僕個人はどうだろうか、って思うんだけど、パパさんは、どう?)
うん、私も、なしでいいです。
--透析はどうしますか。
通える透析クリニック、うちから通えるところにあったっけ?
(あ、えーとね、その透析じゃなくて最初の抗がん剤やった時の透析マシンくっつけるやつさ。腎臓に負担かかりすぎた時のさ。)
ああ、それは、状況に応じて判断してもらえれば。
……5月2日の朝、僕はほんとにドキドキして、主治医からの呼び出しで病院へ向かったんだ。症状が3月17日の再入院から一向に改善しきることがなくて、横ばいまたは症状が思わしくない、という表現の方がフィットしていた。
それで呼ばれて支度して、でかけた。
お姉ちゃんと弟くんに、言いおいて。
「例えば僕が泊まりがけになっても、定時に食事して、定時に眠り、定時に起きるように。生活習慣を自分たちで組んだとおりに回すように」と。
(ちなみに、子供だけの自主的な生活習慣遵守なんて、1年かけて訓練しても怪しいもんだ。できるかできないか、と言ったら、できないと思ってたほうが正しい。
将来、この子たちが社会人になったとき、「そういえば、寝る時間をずるずる後ろにひきずると、自分がつらいぞ……と照にいが言ってたな」
と、頭の片隅で思い出す程度だろう。)
「万一のときどうするかを、どう決めますか」という主治医の投げかけに対しては、
「正しく考えられて、正しく判断できるうちに、意向を本人に聞いときましょう」と僕が言った。この「正しさ」というのも、痛み止めの麻薬がすでに入ってて、ステロイド剤の大量投与なんかすると、頭の中で保持している ”イミ” と 頭の外から入ってくる ”視覚・聴覚情報” の普段のリンクなんか切れてしまってるわけだから、「どの感覚ベースの正しさ?」と疑義のあるハナシだけど。
もっともっと近しい家族とか、親子とかならまだしも、僕には言ってみれば、判断権はないような気がした。
「割と温和な、見た目いくぶんさほど豪胆な気質とは反対向きのパパさんだから、僕がそばにいますから」
僕がどれだけそばにいられるか、ひとりにしたかどうか、なんてところは、僕はとっくにがんばらなくなっていた。だって2019年7月、まさに僕は「パパさんにつきっきりでいるために、父の死に目に会えなかった、母にひとりで看取りと見送りをぜんぶやらせた」のだもの。
誰も二か所で同時にダンスは踊れない。生きていると、たまに、「被害者兼加害者」になることはある。
そのうえ、「物理的にそばにいるひとが、いっこうに自分の心象を理解してはくれない」なんて状況は極めてひんぱんに起こるから、僕ごときがパパさんのそばにいても、パパさんはちっとも孤独が癒えなかった、なんて事象もじゅうぶんありうる。そこはがんばってもしょうがないもの。
この日、病院を去り際に
「夜中や明け方に容態が急変したら、無理に引き伸ばさないでください」と、僕はつけくわえた。
潮の満ち干きによるから。
ーーつまり僕は僕で、連休をいいことに、すでにどっぷり「子の刻」漬けになっていた。銭形平次の「いけねえ、引き潮だ」というセリフが容易に純粋想起できる時代物アタマになっちゃってた。
ことによると、この際どいところから、淡々とパパさんは帰って来られるかもしれない。
僕、今、頭が回ってない。
頭が回ってないままで、子どもさんたちを風呂に入れて、自分も風呂に入って、今日は帰りがけにできあいの惣菜を買って帰ったのでそれを食べて。
お姉ちゃんはよほど疲れたらしく、夕方六時に寝てしまった。
弟くんは、病院のコンビニに売ってた「はずる」という合金パズルに夢中。
6割の確率で、僕はこの子たちの新しい保護者にならないといけないかもしれない。
頭が回ってない時には、あれこれ考えても仕方ないだろうな。
。。。これが、5月入ってすぐの状態。
ここ何日か、たとえば昨日は1時57分の緊急地震速報の大音量に起こされたきり、起きてパソコンに向かっている。午前2時台に今日も起きた。急に電話呼び出しがかかるかもしれない今は、そのサイクルを無理に修正することもないや、なんて思う。
とか書いてたら、
「寝れない」
と、3時半すぎにもかかわらず、おねえちゃんが起きてきた。
しゃーないので僕はこのまま何かを書き、おねえちゃんは「高校選びの作業過程をまとめて、先生に電話相談」する準備と理科の提出課題の勉強。
プロが看護してくれてるありがたさは、「こういうとき無理に寝ようとしないでもいい」 ~つまり、背中を預けた状態~ に、如実にあらわれる。
国民皆保険の国で、医療の発達した国で、高額療養費制度が整備されてて、よかった……ほんとにありがたい。
僕と、僕の親戚はいま、
こんな「ただ一度のダンス」を、踊っています。