今度こそホントに、クラーッシャー宮垣・登場ーッ!! (入場テーマ曲はありません。) ーー成長小説・秋の月、風の夜(89)
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高橋はつづけた。「わかった。奈々ちゃんの方のフラストレーションが解消されてない。位置づけははっきりさせよう、恋人が四郎で僕は相談係だ。奈々ちゃんと僕の間でも、頻繁に相談したり会ったりするから、四郎は安心して僕に相談したり初恋を楽しんだりしてくれ。
それからね、四郎、お前はこの件うまくやろうとしなくていい。お前そもそも、ついこの間までおじいさんの厳命で、友達作らせてもらえなかった男なんだからな」
「うまく……」
「愛着再形成をこれからしなきゃいけないって局面だ。たとえば型練のはじまりなんて、動きを理解するために何度もやってみるんだろう? いまそのレベルなんだからさ」
「そうやんなあ」四郎はそれでも、力のない声を出していた。
「奈々ちゃんのこと、好きだもんな。うまく行きたいよな」
「好きやん。むずかしてどもならんで、俺、ずーーっと仕事だけしとりたい……」
仕事に逃げたい。それはもっともだ。
往々にして、男は競争原理の中でいっぱいいっぱいにストレスを抱えてしまって余裕がなくなると、自分とは異質なコンテクストや行動様式を持つ女性というイキモノを理解することが面倒くさくなる。するとストレス解消のために、仕事だの単なる性欲処理だのに走ろうとする。ご先祖さまストレスでいっぱいの四郎も、同じ状態だ。
男は単純なものが好きなのだ、という点を、女性が唾棄・軽蔑しないで受け止めてくれるならば、男にも努力の余地が広がる、ということはある。
けれども現代社会において、ストレスを受けていろんなところで傷ついた女性こそ、好きな相手にやさしく接してもらってはじめて満たされて余裕を持つわけだ。
互いに先に自分をなんとかしなければ、負のパワーゲームが続いてしまうといっていい。
仕事に逃げる、それは宮垣耕造と長時間すごすということだ。
高橋は、自分の急ハンドルが思わぬ相乗効果をあげそうなことに感動した。さすがだ……
「仕事にからめて、ご先祖さまと奥の人と、ひとりエッチと女性とのナニについては、宮垣先生にがっつり対応してもらってくれ」
「なに、なにそれ!」四郎はあわてふためいた。
「エグコンが、僕じゃ力不足だなって、四郎にとっての次のキーパーソンを想定してくれたのが宮垣先生だ。たしかにお手上げだから僕じゃだめだ。そして宮垣先生もだめだったら、いそいで他をあたらなければならない。行けそうかだめそうか、早めに見切ろう。僕も宮垣先生のところに、顔を出してみる」
「そんな話、宮垣先生に、よう言わん……」四郎は泣きそうな声をしぼりだした。
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まっ赤っ赤で紙ツギだらけの一次校正になってしまった。構成改案を出したのも赤を入れたのも四郎なので、鹿野課長の指示に従い、編集土田ではなく四郎が、宮垣を直接訪問した。
鹿野課長から「宮垣先生とお話するとき、岐阜弁でいいからな。あらかじめ伝えてあるから」と言われ、四郎は非常におもはゆかった。
原稿からうかびあがる宮垣の人柄は、四郎の興味をひいていた。専門書の著者としてはビッグネームなのに、記述のところどころに自分が奥へ隠れる様子や、子供っぽいすねたところもある。稚気愛すべき、という感じだ。
四郎は午前十時のアポイントを取って、宮垣に原稿を届けに行った。
高橋に「がっつり対応してもらえ」と言われた件は、おくびにも出さず……
むしろ、話題にできる気がしなかった。
「ごめんください、楷由社(かいゆうしゃ)です」
ノックしてドアをあけ、奥へ声を投げかける。午前十時、三分前。
訪問において高橋におしえられた時間の基本は、「三分前。早めに現地到着し、ちかくで時間をつぶす」だ。相手が雑談の中でたとえば十分前を通常と感じているとわかったならば、相手に合わせる。三分前の具体的な動作は、チャイムおしまたは、ドアあけ声かけ。タイミングと一つずつの動作に集中し、緊張しすぎを防ぐ。
「はい。どうぞ」と返事がかえってきた。還暦すぎだが朗々たる声。
「ご著書『日常からだ学』の、一回目校正四章五章を、先にご説明・お届けに上がりました」書いてきた用事をよみあげる。
「はい」宮垣が、奥から出てきた。四郎をひとめ見るなり、「おや、若い校正係さんなんだな……」と驚いたようすをした。メールでの連絡文から、もう少し年上を予想していたらしい。
四郎も宮垣の、太い体躯ながらあかるく若々しいことには驚いた。五十歳前にしか見えない。前回刊行本の著者写真は、昔のものではなく近影だと、今日わかった。
席をすすめ、宮垣は「見せてくれるか」と、言った。
四郎は原稿を封筒から出して、宮垣の方を向け、渡した。きれいな動作だった。
「大きくはどうだった」
「四章五章の修正が最も多かったもんで、先に作業しました。お目通し願えますか。いったん編集完了にしましたところ、遅ればせながら校正で目次レベルの手を入れました。ご迷惑をおかけしました。お許しください」
話す四郎を、宮垣がさえぎった。「尊敬語謙譲語は、そりゃ標準語さ。岐阜弁にまぜちゃつらい。武芸者どうし、おれおまえだ」
「えっ、ほんでも目上の方やで」四郎が思わずいうと、
「鹿野からちゃんと申し送りと説明をうけてる。鹿野の厚意を無にするな。あなたの中の、目上を尊敬せねばならん感覚は、暴力と強制でしつけられた副作用のあるもんだ。
ひどい対人緊張のもとになってるよ。今はいったん捨ててしまいなさい」と宮垣は言った。
「ほんなら岐阜弁で説明しますでえか」四郎はおじけつつも、言ってみた。
「読む人がようわかるように、鹿野課長がこないだお渡しした図と構成改案と、えらい直しの多かった四章五章、説明させてくんさい。ほんとやったら企画んときにしなあかん話、ここまで遅らしてまって、ごめんしてくだれ・・やーす・・かね」
「ああ」宮垣は付箋とうつくしい紙ツギとを指でなぞりながら、図と構成改案を参照しつつ、四章と五章とをざっと見渡した。
「あーあ、真っ赤だなー。中学校のテストが返ってきたみてぇだ」と嘆いてみせながら、それでも読みすすむ表情は、あかるく嬉しそうだった。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!