ケーキをありがとうございました。ーー秋の月、風の夜(49)
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「四郎は19、高橋さん23、消せます?」奈々瀬がいたずらっぽく笑う。
吹き消す。
同じケーキの上の、19と23。高橋は当たり前のように遠慮なく、そして吹き消すときの確実さは、いまひとつ。四郎は「いいのだろうか」という疑念を持ちながらも、持ち前の身体操法のたくみさで、確実に火を吹き消す。それぞれの持ち味のようなものが、ローソクの火を消す単純なことにさえ現れる。
拍手があがる。プレートを取り除けて、奈々瀬が等分にケーキを切る。
四郎はあわてて、
「俺、残すともったいないで、ちょびっとだけ切ってもらえる?」とたずねた。
奈々瀬は「はーい」と返事をしながら、美しい生クリームの飾りがちゃんと乗ったところを、三角に包丁を入れて切り取る。
小さめの三角柱を四郎の皿に盛り、いちごを皿に添え、「お誕生日おめでとうのプレート、割っちゃうね」とささやいて、「おめでとう」の部分を四郎の皿に、そっとのせる。「はい四郎どうぞー」と声をかける。
「俺、ケーキ生まれてはじめて」
四郎がぼうぜんとした声で言うので、ハルとヨシが「えええー??」とききなおす。すかさず奈々瀬がたしなめた。
「だって四郎のおうち道場で、四郎が次のご当主だから、食事の管理も厳しいでしょ。ちっちゃいころから、甘いもの好きなように食べさせてもらえないでしょ。だからなの」
今みたいに少しだけ切ってもらえば、なんということもないのだが、たまたま、四郎の祖父も父も母も、そういう頭は働かない。三歳の祝い膳は、尾頭付きに赤飯という、格式が高くて現代の子供にはちょっと嬉しくない古風なもの、祝いはそれ一度きり。
四郎はうなずきながら、理解されるうれしさを、心の奥でかみしめた。
高橋はそんな親友の様子を見ながら、しみじみ嬉しさを味わっていた。
「高橋さんはどのぐらい?」奈々瀬は、高橋にもたずねてみた。
「僕も、すくなめに切り出してくれるかな。食べ盛り二名にゆずる」高橋が答えたとたん、ハルとヨシが「やりい!!」と叫んだ。
奈々瀬はケーキをなんとか立てようとして、やっぱりぺたん、と横に寝かせた。いちごを上に置いた。割ったチョコプレートを、添えた。
高橋の顔を見ると、嬉しそうに笑っていた。
もっと、スマートに上手に、いろいろできたらいいのに……と、奈々瀬ははにかんだ笑いの中で、思った。
四郎は目の前のケーキを見ていた。
「どうした」高橋がそっと声をかける。
四郎は、ためらった挙句にフォークで刺したいちごを口に入れた。ちょっとびっくりした顔をした。
「おいしい?」奈々瀬が聞いた。四郎は黙ってうなずいた。あまずっぱいとはこういう味か、と思った。生の野菜とは組成も香りも歯ごたえも違う。
じつは、小さいころ生クリームをこっそり母親になめさせてもらったことがある。一度だけ。
スポンジと生クリームをフォークで口に運んだ。そのときの生クリームより、ずっとずっときめが細かくて、新鮮な牛乳の味に近かった。スポンジもきめが細かくて、ふかっとした弾力があった。そうして両方とも甘い。なぜだかご先祖さまたちの活性が、やたらと高くなってくる。
コーヒーを飲んで、落ち着こうとした。高橋が淹れるコーヒーには、何かおちつく感覚がある。
チョコを少しだけ割って、口に入れた。それはあっという間に、ぬめったように溶けていった。
「どう、食べられそう?」高橋が頬づえをついて聞いた。四郎はこくりとうなずいて、とにかく皿をきれいにした。
コーヒーを飲んでさらにおちついて、今のは「やりすごした」とか「こなした」とかの動作であって、「味わった」ではないのではないか、と息をひそめた。以前食べたオムレツのほうが、気が重くなかった。
奈々瀬と安春にケーキの礼を述べて、その声には沈んだ音色がのっていた。
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