21世紀日本で成長小説をやろうと思う。--高橋照美の「小人閑居」(16)
ビルドゥングス・ロマンは教養小説とよく訳されてるけれど、「教養」という日本語には「ヒリヒリズキズキ」した感じが足りない。
それで今回は「成長小説」という呼び方を使っている。ほんとはさらに「ヒリヒリズキズキ」する名がいい。
だって「なぜ生まれたのだろう?」「どう生きたらいい?」以前に、この21世紀日本では
「生まれたことを肯定していいものだろうか?生きていく前提で通すとしたらどうすればいいのか?明日死ぬとしたら次の世代に何をのこすんだろう?」を問いとして投げることができるから。
まさか文明がここまで進んだ先に「憲法25条(健康で文化的な最低限度の生活)の落とし穴」みたいなのがこんなに広がるなんて、誰も知らなかったろう。
切実すぎるもがきの中にいる人にはひどい表現だ。でも切実さをあたためるために物語が存在できるといい。
いまnoteに少しずつ貼りつけていっているのは、Word版で20万字書かれた「下書き」だ。書いている親友は、起承転結が作れない。構成が作れない。書かれたものは一読して100%、誤字脱字を見つける。17年ほどの読者歴を持っている。しかも小学校6年間友達がいなかった。
なので、下書きをぜんぶ貼りつけてはじめて、「物語としてどこをどうすりゃいいの?」という議論に進もうという話になっている。頭の悪いやりかた&読む人に不親切なやりかた だとは思うが、許してください。下書きとふりかえりと成型版とトレーラーとサマリーを、順番に作って筋トレしていこうという話をしている。終着点はわからない。
まるで旧約聖書の中の、「アブラム」だったころのアブラハムが「行き先を定めず出ていった」みたいな心細さだ。こんなに心細いからには、作業が終わったあかつきには、我々は成長しているんじゃないかな、と思う。
いまのところ「スキ」を多めにもらってるシーンはこちら
「ああ、私ってめんどくさい」秋の月、風の夜(5)
四郎のここが好き。秋の月、風の夜(6)
なくした初恋を拾ってくれた人。秋の月、風の夜(7)
恋をゆずるなんて話をするとどういう目に会うか。秋の月、風の夜(9)
自分の幸せをドアマットにしてはいけない。秋の月、風の夜(10)
登場人物紹介と、全体のもくろみ。秋の月、風の夜(0)
いきなり有馬先生にどなられるオープニング。秋の月、風の夜(1)
「ネタばれミーティング」のうち、「スキ」をいちばん多くもらったのはこちら