ああ、夏休み
毎日毎日毎日毎日、親戚の子ども2人にメシを提供し臨時の見舞いに対応している間に、父親が死にまして。
通夜も葬儀も母に任せきりの、死に目にも合わずじまいの、散々な事態になりました。
入院中のパパさんの家から僕の実家は遠いので、戻ってるうちにこっちが急変したら子供2人ではなすすべがない。
軒先を貸して母屋を取られる、ということわざはありますが、他人を助けてる間に自分がドツボる、というのは、どういう日本語で表現すれば帯にもたすきにもナイスサイズなんでしょうね。
思いつかないです。
家計急変とか、急な家族の認知症発症とか、僕の同僚周りでも「うわぁー、そんなことが」的なことはたまに発生するのですが。。。
自分が急に、「覚悟の人非人」になるとは思いもよらず。
潜水艦乗りや、役者や歌手や、穴をあけられない勤めの人は、とっくに覚悟してる事なんだろうにな。
僕はこうやって、覚悟も何もなしに、ただひどい状況に巻き込まれて行くんです。生まれながらに鳴門の渦潮がついて回ってるみたいに。
父の死から1ヶ月は、子どもさんたちに「流水麺」だの納豆ご飯だの、ほとんど調理手抜きのメシしか食わせてなかったな。
昨日、花火をしてみました。
冬から、自分はどこか、上の空でバラけています。
瞬間・瞬間を、まるで子供のように楽しめたら、救いもあるのに。
短い時間だけパチパチ吹いてる色変わりの小さな火花を、楽しんでるふりして呆然としてる時間にしかなりませんでした。
すまん、
供養にもならん供養だ。
あなたの死を孤立させた僕を許してくださいとは言わない。
そんな死なせ方をして、本当にすまん。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!