子の刻参上! 二.くものいづこに(六)
益田の居室の庭先に戻り、次郎吉は再度そそくさと、たき火の跡をあらためた。
失火の出ぬよう、もういちど水をかけまわす。
月は三日月。
夜目のきかぬ次郎吉には、道具を庭の端につくねておくことが精いっぱい。
「なんとも、豪勢な弁当であった。金目鯛の西京漬焼が、寸に切って、楊枝で取れるようにしてあるよこに、青菜のからしみそが白和えと並べてあった」
「芝居見物の幕の内の、松の重ばりのごちそうを、竹の皮に。洒落てらあ」
「次郎さんは、竹の皮で梅干をつつんで、気長にちゅうちゅうねぶっているおやつは、知っているかい」
「梅干ですかい。久しくありついてねえなあ。たまたま手に入って七輪の隅っこで焼いてると、頭やみが止まらねえ近所のばあちゃんの、こめかみに貼らしてやろうってんで、皮のいいとこ切って持っていっちまいまさあ」
「ははあ、珍重の品なのだな」
いつかの日とおなじように、益田は湯呑に湯をついで、ひとつを次郎吉に出してくれた。
「珍重されてたら高値で取引されてやすでしょうよ。ものが梅干ですと、おすそわけでころころやりとりされて、みそ・しょうゆ借りるみてえにしてたら、いつのまにかなくなっちまわあ」
「金目鯛と梅干は、そのように扱いが違う。われらの中にある “値(あたい)” というものは、どのようにかして、見聞きする中で既に決まっているようにも思われる」
「はあ、珍しい魚の焼きモンとくりゃあ、てえしたもんでしょうねえ」
「早崎屋が商いを試みておるのは、そのところなのだ」
「やはりその名前は、早瀬の早崎なんでござんすね?」
「鰹、鯖、鯵、キビナを普段は取りおりて、時にアラ、アカハタアオハタにキジハタ、ハナオコゼ。潮のぶつかる切所(せっしょ)に、あやうきとき入る者は命がけでの……何人も、何人も死んでおる」
「むごい話でござんす」
「ぬしと同じだよ、次郎さん。ぬしゃ、五十両百両を“笠の台(首)”とひきかえにとってくるだろう。命とひきかえてしまうほどよくみえるもののために、命を差し出してしまってはおらぬか。君がため惜しからざりし、というやつだろうか」
「そりゃあそうだ、惜しくはねえやな」
言ってみて、次郎吉は、(いや……売り言葉に買い言葉、というやつでしかねえ。惜しい)と思った。(惜しい、いや、“こわい”)と。
「ほんとうにそうだろうか、と、次郎さんも、ふと思ったのではないか。……だいいち、私がまねをするといったら、真似はならぬと、止めるであろう。あの蜆売りの子がまねをするといっても、怒ってみせて、止めるであろう」
「あったりめえですよ! 若様にあぶねえ真似さすわけにゃあ……」
「そこなのだよ。行っては危ういその先へ越えてしまうことを、その先に越えてしまったものさえもが止める。
ところが、とどまれば死するのみ、水牢だの蓑踊りだので無残に殺さるるのみ、とするならば、なんだか尊いきらきらしてみえるものが命をかけて一揆してくれるという心中場を作って人をつのってみれば、いのちしらずの勇気ものも、追い詰められた弱いものも、われもわれもと参集してしまうではないか。
すがりたくなるような大将を立てたがために、参集してしまうではないか。
島原では、無残なことを次々領民にいたしておった領主の言い分が、“あやつらは禁教を奉ずるきりしたんであるので罰したまで” といううそぶきようで、よしとされてしまっておった。百姓をむごい殺し方でいくたりもいくたりも殺しておる暴虐、非道なりという訴えは、どこにも聞かれぬまま、百姓みなで追い詰められておった。
ああ、そうだ、“お上のためにも苛烈に取り締まってござる” という嘘が、受け入れられていたと言ってよい」
「そんならひるがえって、たとえばですぜ。恐ろしいお方とご評判の織田信長様の比叡山焼き討ちは、いったい何万人死んだんです」
ふと、次郎吉はそんなことを聞いた。
「三千か四千と言われておる」
益田もそこらは調べつくしているとみえて、すんなり数がでてきた。
「うぇっ……!」
十の一分だ、それは少ねぇ……と、次郎吉はひとりごちた。
「ただそこで、百姓と豊臣方ときりしたん、女子供もあわせて三万七千、といわれるのと、僧兵僧侶稚児四千といわれるのと、どちらが鳥肌が立つかの」
「ううん、難しいハナシでござんすね。数に、イロがつくような心地がしやす」
「そうだ、数に人のくくりという色がついたの」
「……おいらにとっちゃ、殺されてしまいなすった皆様方には悪いが、お坊様四千のほうが、少しばかり、余計にばちあたりに聞こえまさあ」
「そう感じるか」
益田は瞑目した。
「そうさな。まるで、梅干とアオハタのように、われらのなかに扱いの違いが、どのようにかして既にきまっているように思われるのだ。人死にの数がおおすぎるのは、まるで芋を洗うような調子で、かるがると無残に、つぎつぎ殺され尽くしてしまったようにも思うのだ。
もう少し、その、“とても殺せぬ” と、人たちが心くじけて手を合わせ、刀やたいまつを持てぬ相手であったなら、途中で勢いは止んで、生かしておいてもらえたのではないか。 “手をかけるなどばちあたりなお相手” ともし思われていたならば、助かったものが多かったのではないかと」
益田は行燈の火もつけぬとっぷりとした闇の中で、「次郎さんは算用が少しばかりできるのだな」とつぶやいた。
「へい、賭場で木札の枚数なんぞ、だまくらかされねえように数えやすんで」
そうか、と益田はつぶやいて、ややあって別の乱の死者数を述べた。
「信長公の殺しようは、一向一揆と伊賀において、島原に迫っているようでの。一向一揆は伊勢長島にて二万数千が干殺しと焼き討ち、越前にて合戦死二千、生け捕りのちに殺されたもの一万二千。伊賀惣国一揆では三万あまりが殺されたようだ。かの信長公のやりようを、後年、お上がまねたにすぎぬ、と言ってもよかろうかの」
益田は黙り込んだ。
そして言葉を足した。
「いや、むしろ蓑踊りや水牢で人どもをいじめ殺しておった先の領主と手先の暴虐を、もっともなりと受け容れておった同じ調子で、乱に加わったものゆるさじ、とて皆殺しを決めた。というほうが、鎮圧にあたったものたちの心情に近いかの」
さらにことばを足した。
「虐(しえた)げられやすい境遇には、どうやら、色がついておる。
ぞんざいに扱うてもおのれの立場がゆるがぬであろうとみると、ぞんざいに扱い虐(しえた)げる。もしも立場をひっくりかえされたものがおるときには、うまく立ち回らぬからやられた、との高みの見物を、たいていのものが好む。
山のけものの理屈のように、“弱い者が悪い” “わけもなく理不尽な目にあうことはなかろうから、なにか落ち度があったのであろう” という。
理屈にならぬ理屈のほうが気がおちつくので、それを通そうとする。
“世の中には、わけもなく理不尽な目にめぐりあわされることがあるので、そこには救い出す策がなければ、われらは一様に滅んでしまうであろう” という考えに至れぬならば、もはや人同士とはいえぬ」
次郎吉はかたずをのんだ。やがて言った。
「おいら、お話相手としちゃあ、むごい話だ、なんてかるがるしいあいづちは、打たねえほうがよろしいような気分にもなりやす。
何と言っていいやら、てんで心もとねえことながら、おいらがこの場にいれば、若様はいまのように、とりあえず口に出してみなさることは、おできになるんで?」
「うん」
「こんな感じの聞き方で、ご用にまにあっておりやすかい?」
「まにあうとも」
まったく闇の中になってしまっていたが、次郎吉はみじろぎをしなかった。
「すまなんだ、私のせいで、とっぷりと暗くなってしまった」
益田が、手燭に火を入れた。
「部屋へ、送っていこう」
益田の先導で、次郎吉は廊下を歩いた。
「魚臭さのないここなら、逗留してくれるかね」
「お店の奥向きよりゃ、少うし、気が楽ではござんす」
「明日は、朝稽古に顔を見せておくれ」
「何かおいらがご入用で?」
「なに、今日はぬしを夕暮れ方になってから呼んでしまったのでの。今日のように、ただ聞いておってもらうのには、かなりの時を食うのだ」
「承知しやした」
「これにてごめん」
「おやすみなさいませ」
ふと益田は次郎吉の挨拶に振り返り、笑みをみせた。
「話のかみおうたこと、礼を申す」
次郎吉は一瞬なにを言われたかわからず、
「めっそうもねえ」
と返してから、「いや、おそれおおいこって」
と言い直した。
結局、適切なことばの思いつきようもない自分に首をふり、そして、益田の後姿を見送った……
むしろ、手燭のあかりが、むこうへ遠ざかっていくようすを、ぼんやりと見送った。
話し相手のおるおらぬは、存外、大きい事件であるのだ。
次郎吉はそのように感じていた。
まるで、益田の話の口に出し方は、「話を聞いてもらえさえすれば、途方にくれずに済む」ようでもあったので。