友達がいてよかったと思いました。ーー秋の月、風の夜(65)
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松本から帰った。
四郎は岐阜の家には帰らず、仕事がたてこんだとき世話になる名古屋の高橋のマンションに、そのまま連れていってもらった。
洗濯物を洗濯機で洗って乾燥機にかけ、赤こんにゃくを冷蔵庫に入れ、増えた衣装をたんすの引き出しにしまう。
いい月が出ている。さやけし、ということばを思いおこすような光だ。
「なあ……高橋」なんとなくぽけーっとした表情で、カーテンを少しあけながら、四郎が語った。「俺、困ったことがあってさ」
「なに」
「奈々瀬に内緒な」
とにかく話そう、安全な中で練習だとは言われているものの、やはり先に防衛ラインを張らずにはおれない。それでも、高橋には話しておかねば。
内緒にしてくれと言ったら必ず内緒にしてくれるのが、高橋だ。だから。
「うん」
「……疲れる」
高橋は、そうだろうな、と相づちをうった。
「ご先祖さまと奥の人の感覚だの価値観だのが反射的に反応しちゃうから、いちいち疲れるだろうな。やがてさほど疲れなくなるといいよな」
「そうかも。それからな」四郎はもじもじとつけ足した。
「なに」
「誰にも内緒な。俺、奥の人やご先祖さまが活気づいて趣味全開にならんように牽制しとるもんで……あの」
「うん?」
「あの、ええと。男ってさあ。溜まると……なんというか」
「抜くよな」
「わあそういう表現か。ええとさ俺、できやへんのやて」
「え、どうしてるの」
つとめてなんでもなく高橋は聞く。
やっぱりそういう問題はあったか、エッチなビデオの話をこちらから振っておいてよかった、と高橋は思った。誘い水をまいておかないと、相談していいものやらどうやら、四郎には皆目わからないだろうと予想していたのだ。置かれた環境と立ち位置が特殊すぎて、同世代の同性と全くといっていいほど話していないのだから。
「そのまま途中であきらめて寝る。案の定悪夢になって、時々洗濯せんならん」
「ふうん。ご先祖さまと奥の人に翻弄されちゃうから、ひとりエッチができないと」
「……うん」
「お前なー。僕には、くにょくにょ恥じらわなくていいから。恥ずかしくても、まああけっぴろげにいろいろ話してくれ。僕との間で表現遠まわしにしてると、話が伝わらないしょんぼり感、強まっちゃうから」
「うん」
画期的だった。親友に相談ができた。それは四郎にとって、アイガー北壁の登攀に成功したぐらい画期的なことに感じられた。
今までは、書物に当たるか、大人の顔色をうかがって黙っているかしか、選択肢はなかったのだ。
友達がいると、いろいろなことをどうするか聞けるのだ。本当の友達は、ばかにしたり否定したりしないのだ。そうして初めてできた唯一の友達は、とてもやさしくていろいろ知っている友達だ。
あらためて、「親しい友達を作るな」というおじいさんの厳命を守ったままにせず、高橋に友達になってもらって、よかったと思った。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!