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子の刻参上! 一.あけがらす(四)

狐に「ひとくさい」、
つまりは人間らしい、と言われて、次郎吉はうろたえた。

「気持ちのつええ男に、なりてぇもんだい……」

思わずそんなことを呟いた。

「気持ちのつよきよわきは、ようわからんな。これから押し込む先は、勝手が分からぬから、嫌かよ?」
狐は、そんなふうに聞いてくれた。

「天下の大番屋やぶりと来りゃあ、お上にたてつく大罪じゃあねえか。あのおんな若様が、どうしてそんなことをおいらに持ちかけるよ」
次郎吉は答えた。そしてこうつけ加えた。

「かわいい顔して、とんでもねえこと考えやがる」

狐は、口の中でくぐもったうなずきようをした。

~あのひとのひいばあさまの兄上、のあとを追いかけて、若様なりに見えぬ景色に目を凝らしておいでなのだろう。~

~とは、狐は、次郎吉には言わなかった。
まだ、言わなかった。

益田時典じしんが、こののちどこまで、この若い賊を信じ、うちあけ、なかまとし続けるのか、そこをまだ聞いていないためだ。

「まだ会うてひと月にもならん。謎は多いが、わしは、もすこし、仕えてみたい方であるのよ」

とだけ、言った。

一人働きの小判盗人には、やはり大番屋は恐ろしかろう、と狐は思った。

おかみだろうがどこの大名家だろうが区別なく、
這い入り騒ぎを起こし造反せしめ裏切らせ、
殺し殺させを繰り返してきたかれら草どもだ。

すっぱ乱破下忍のたぐいと、盗人とは、わけが違う。


やがて人に姿を見られる前に、狐は武家の用人の歩き方と、小走りの急ぎ方と、屋内での所作とを、次郎吉に手短に仕込んだ。

曰く、言葉を発するな。屋内では大刀には手をかけるな。屋内において捕り手に万一見つかり、気色ばんだと見せかける時には、脇差の柄先に三本ほど指を添えよ、抜き放っては武家でないことがわかってしまうので決して獲物を光らせるな。足もとの草履だけはうっかりぬぎ落としてはならぬ、足の親指つけ根と四本指とでぎゅっとしめおけ、さすればわしがかかえて飛び逃げてやろう。

狐が驚いたことに、次郎吉は、狐がしてみせた所作をいちどでそこそこさまになるまで真似た。

「ほう、ほう、お前はうまいな、鼠」
狐は思いもよらぬ素直な声をあげた。

「おいら、生まれが芝居小屋なのよ」
次郎吉は武家頭巾をかむったままのくぐもった声で、そういった。

「で、なんでおいらはお武家のカッコなんで?」

「不名誉にも異例の大番屋送りの武家が三人ほど別々におってな、そちらの勢力がやぶりにかかったものと、思い違いをされたいのだよ」

「なぁる!」

熊公だすけは、ほんの、もののついで……

あのおんな若衆には、次郎吉には見えてない景色が、見えているのだ!

とたんに次郎吉の中で、何か吹っ切れるものがあった。

「ようしわかった!
よくわからねえことに考えを使うのはおしめえだ!
おりゃ盗人のはしくれだ、人ゥ盗むのははじめてだが、錠前ェひねるのはやらねぇでもねえ。覚悟はいいぜ」

江戸っ子らしい啖呵を聞いて、狐はふふっと笑った。

「牢の錠前は、はじめてのものがさわってどうこうするには、数も多ければ重さもある。鼠はとにかく、大番屋に捕まっているものたちに、武家が頭巾で顔を隠して入ってきた、という姿を見せることだけを行うてくりゃれ」

取り押さえられて、武家でないとわかったら、すべてがご破算になるのだ、だからすばしこいお前さまに頼まねばならぬのよ……と、狐は噛んで含めるように言った。

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高橋照美
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!