対話って難しいけど、向き合っていきたいから書き留めておく
noteご無沙汰です。最近は書かなくてもいいかな~とそんな毎日だったので書いていませんでした(どゆこと?)。
ここ2か月くらいでまた感情がグラっと揺さぶられることもあって、ザっと書き留めておこうと思います。
「わたしはわたしにとって最高の人生を送りたい」
「自分が一番だ、って思える人生を送りたい」
わたしには、そういうワガママが、自分の心の一番底にある。ずーっと、ずーっと前から。
その思いは、すごくまっすぐで、人前に出たときに、邪魔をしてくる。
わたしには大切な人がいる。これから先、二人で人生を歩みたいと思えるくらい、大切な人。
そしてわたしのワガママは、二人で人生を歩みたい、と思ったときに、相手を傷つけてしまったり、嫌な思いにさせてしまったりする。
一人で生きるならいいんだけど、二人で生きるなら、二人で人生をつくっていくなら。
一人のワガママは正解にはなり得なくて、二人のワガママのほうが正解になり得る。正解というか、最適解。
二人はこれまで違う人生を生きてきた。だから二人ともの気持ちが重なり合うなんてなかなかないし、そういう前提も知っているつもりなのに、いざ話し合おうとなると、わたしは相手にただ自分のワガママをぶつけてしまう。甘えてしまう。
今までにないくらい、びっくりさせてしまい、これではだめだと思い、図書館に走って、それっぽい表題の本を借りてきて読んだ。
ハッ・・・わたしやん( ^ω^)
会社の先輩にも1時間ほどカウンセリングのようなことをしてもらい、「対話」ができていない原因を、なんとなく突き止めた。
時間をかけてわかったことは、「対話」するためには、自分との対話(=受容)が必要ってこと。
まず自分が感情をぶつけるのではなく、その手前にある事実を知り、事実をどう解釈しているからその感情になるのかを認知すること。そしてそれを受容すること。
春頃にこのnoteを書いたとき、自己受容が大事ってことは重々承知したつもりだった。けど、まだできていなかったみたい。時間がかかるなあ。
ほんとに自分ってめんどくさい(笑)。
好きやけど。
こんなめんどくさい自分に向き合ってくれる人は、本当に大切にしなきゃ。
いつもありがとう。
ワガママが邪魔になる、って最初に書いたんだけど、やっぱりそれは自分のアイデンティティというか、自分をつくってる一部のようなもんで。なので、これからもほどほどに本音をぶつけたいとは思う。
でも、そのときに相手の本音もちゃんと聞く。それができてこそ、二人で生きていく、ってことができる。
そのときは、どうして相手がそんなことを言っているのか?背景まで聞くようにする。
わたしも背景なしで適当なことを言っているわけではないし、相手もそう。出てきた言葉の端っこだけで、相手をどうこう判断しない。
背景を聞けば、二人重なり合うところができるかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、でも相手を理解することにつながる。これも大切。
あー難しい。けど、なんだかんだ楽しいからがんばろう💪
これからもいっぱい話そうね。
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