フリーランス@ミャンマーが語る、『大企業からフリーランスになったキャリア』
大企業からの転職、
知り合いのいない国ミャンマーへ、、、
第10回のゲストは『ミャンマーのフリーランスコネクター』桂川融己さん!
桂川さんは日本人の価値観や固定概念から外れた人だった。
はじめ僕は桂川さんには疑問しかなかった。
「なぜ学生の憧れである大企業を辞める必要があったのか?」
「なぜミャンマーを選んだのか?」
「コネクターは大企業でのスキルは使えるからな選んだのか?」
「まずコネクターってなんなんだ?」
しかし話を聞いていくと、『出会い』と『人生軸』が桂川さんをミャンマーに向かわせたのだとわかった。
日本人らしい就活
年収1000万以上稼がないといけないと思っていた。
と桂川さんは話す。
その為には将来は起業を視野に入れた就活をしていた。
受けていたのは中小とベンチャーのみ。
しかしある先輩から金融系の企業で面接練習を勧められる。
これが桂川さんが大企業に勤めることになる始まりだった。
面接練習にその企業にいくと、断れないまま就職が決まった。
経営者を目指しての就活であったが、結果的に大企業というブランドに負けてしまったと桂川さんは話す。
そこで7年9ヶ月の間勤めた後、
年収1000万を稼ぐにはもう1〜2年必要であるが、その期間を起業の為に使う為に転職。
「今思うとよかったとは思うが、社長を目指して仕事をしていなかったと思う。」
少し反省点は残っていたようだ。
オンリーワンを求めてミャンマーへ
桂川さんは大企業で勤めている間に社外コミュニティに出ていた。
これが桂川さんを海外へ引っ張った。
社外の世界を知っていくうちに海外現地採用の存在を知ったのだ。
そこから海外に興味を持ちはじめた。
しかし桂川さんには
海外に出るなら二番煎じは嫌だ。
というこだわりがあった。
そこで知り合いのいないミャンマーを選んだそうだ。
ミャンマーでの計画は3年は現地企業で働き、その間に起業の準備を進めること。
普通の人なら
「就職先が見つかったなら、その企業にいたらいいじゃないか。」
「無理して知らない国で起業する必要はないだろ。」
失敗した時のリスクや再就職の大変さを考えるとそう判断すると思う。
しかし桂川さんは違った。
たとえ失敗しても2年は生きられるだろう。
そんな自信があったそうだ。
そう、桂川さんは人生の転機を生きるか死ぬかで判断していたのだ。
フリーランス@ミャンマーのきっかけ
桂川さんは冒頭に
自分でも今何をして稼いでいるのかはっきりは言えない。
と話していた。
桂川さんが今しているものは
・直近でお金になること
・将来お金になること
・お金にはならないが自分がしたいこと
この3つ。
確かに色々なことに手を出している。
直近にお金になることの中に『コネクター』をいう仕事がある。
コネクターとはチームを組織する仕事。
桂川さんはある友人からミャンマーのビジネス雑誌を作ろうと誘われ、雑誌を作るスキルはないが、その代わりにスキルを持った人を集めて作成フローをマネージメント。
桂川さんの仕事は紹介が多いそうだ。
雑誌作成後に動画作成。ついでCM作成。
新しいことにチャレンジすると、また新しいことが舞い込む。
全て出会いが繋がっているのだ。
CM制作にはすごい意義を感じている。
と桂川さんは話す。
CM制作では新型ウイルスの対応策を伝えることをコンセプトにしているとのこと。
起業の準備はどこへ行ったのだろう。。。
人生軸の変化
桂川さんは
「年収1000万を稼がないといけない」という軸で仕事を選んでいた。
ミャンマーに来てからも
自分でも何をやっているかわからない。
やっぱり専門分野があったほうが仕事は取りやすいと思う。
そんな葛藤があったそうだ。
しかし今では
生きているからいいか。
そんな人生軸で仕事を選べるようになった。
確かに仕事で「生きる為にお金を稼ぐ」以外の目的を捨てると、かなり自由な選択肢が出てくると思う。
プライド、周りからの評価、必要以上のお金
これらは生きる為にはいらない。
その分お金は対して発生しないかもしれないが、
自分が本当に楽しいと思える仕事をするのに抵抗感がない。
一番幸せを感じられる働き方かもしれない。。。
次回のゲスト紹介
次回のゲストは「過去数百社にインタビューした」後藤亮輔さん!
そんな後藤さん流の魅力的な企業の見分け方とは?
すごい気になります。
お楽しみに!
*****
前回のオンラインキャリアセミナー【三橋さん】
『オンラインキャリアセミナー』に参加したい学生はホームページにアクセスしてください!
オンライン就活はオンラインキャリアセミナーの他にも
『オンライン合同説明会&座談会』
を開催していますのでご興味のある方は是非参加してください!