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ルール破り①

 私ごとだから、こういう話ってよっぽど気心しれた友人に口から発信することしかなくて、それはそれで楽しいのだけれど、こういうところに置いておいて、誰かに知られるかもって思うのもまた楽しい。
 僕が大学在学中から4年くらい付き合った1つ上の先輩元カノは、同期からの評判も、それ以外の友人からの評価も、あまり芳しくない彼女だった。言葉が強くて、感情がわかりづらくて、ある程度親交を深めるまでは表情も仏頂面だし、何を考えてるのか人目には判断のつかない、とっつきづらい人というのが周囲の印象なんだろう。当時、「女に嫌われてる女」という評価がオウム返しのように、いろんなところから聞こえていた気がする。
 さて、そんな元カノとは、僕が2つ年上の女医と懇意になったことで別れて、元カノにはそれから1年くらいして年下の彼氏ができた。それから数年経って、元カノは相変わらずその年下彼氏と付き合ってるけど、僕は次の次の彼女と付き合っていて、そしてまだ今もその評判の悪い元カノと会っている。
 元カノは冴えない評価の一方で、真面目で、恋愛経験はそこまで多くないからか、一途で、自己表現は苦手だけど、僕のことはなんでも見透かす、心地のいい人だった。そんな元カノが、僕と今会って、夕方に待ち合わせしてから終電を逃すまで飲んでしゃべって、結局最後は僕とホテルで一晩過ごしているのはどうしてなんだろうか。不思議な気持ちになる。共通の友達にこのことを話したら、その友達から実は元カノちゃんあまり好きじゃないんだよねとのプチ暴露をもらいつつ、女に嫌われるタイプだよねっていういつものやつも頂いた。女に嫌われる女は、もう元カノのマニフェストみたいなものかなと思ったけど、このネガティブキャンペーンの一端を僕も担ってしまってるのではないかと、少しだけ後ろめたさを感じた。
 そんな友人の間の、元カノおろしの片棒を担いでしまった僕にも、そんな不純な感じで会ってしまってるのには言い分もある。僕は一般に言う女性経験が多くて、元カノと付き合うまでに数多の女性と付き合ったり、淡白な関係を築いたりしてきたけど、その誰もが日を経れば水泡のように記憶の彼方に流れて割れて見つからなくなってしまうのに、元カノだけはそうでなくて、元カノと別れたあと付き合った人も身体の関係になった人も、常に元カノと比べてどうかという立ち位置にいて、そしてその誰もが元カノを忘れさせることはなかった。
 ある夏、元カノの仕事終わり、渋谷の少し奥まった個人経営の創作料理店が集まる一角でご飯を食べた。元カノには今なお年下の大学院生の彼氏がいて変わってないし、僕は今仕事をしていないし、その日は少し熱中症気味で気の利いた話しもしていなかったけど、それでも元カノは楽しそうにしていて、僕もそんな自分に何の負い目も感じず、熱中症で目がチカチカするときですら元カノとの時間はなんだか心地よかった。少しして、水分をとって涼んで回復した僕が、隠してたけど熱中症ぽかったことを伝えると、元カノは体調悪いの気づいてたよと言っていた。だからなのか、元カノは案内されたはしっこの席で、壁によりかかって僕の方ではなく店内をぼんやり眺めていて、暑いよね先に水飲もうかってたまに思い出したように言うだけで、僕の方をあまり見なかった。僕が回復して元気になると、元カノは僕の方に身体も顔もむけて、僕が下を向いてご飯を食べる時も僕の顔を覗き込んできたりして、僕が美味しいと1番喜んだ料理の話を、次の2軒目に向かう道すがら楽しそうにひっぱり出してくれたりしていた。だからなんだろう、僕は元カノを忘れられない。結婚すると今思うほど図々しくないけど、一生何らかの形で僕のそばにいてくれている気がしているのだ。
 どうして元カノと別れたのかと後悔しているわけじゃない。人には人生の段階みたいなものがあって、それぞれの段階で必要な環境も人も変わる。僕にとって元カノは、当時次の段階に行くために必要だったんだろうし、次の段階には必要でなかったのかもしれない。そして今、僕はまた人生で新しい段階にやってきて何かが変わり始めたのかもしれない。何が違うのか僕にもわからないけど一つ言えるのは、必要だから好きなのではなく、好きだから必要になったということ。人生をともにしてくれる人は、僕の成長や安心した生活のために必要だから好きな人として選ばれるのではなくて、言葉でうまく説明できないけど好きだからきっと僕の人生に必要なはずだと自ら選ぶものなんだと、今この段階にいる僕は思う。
 待ち合わせに遅れてきた元カノの、後ろから僕の背中を人差し指でつつくところも、びっくりした僕の左隣に立って僕のコーヒーを勝手に飲むところも、飲んだコーヒーの産地を当てようとするところも、私も欲しいって言ってコーヒーを買って、天気雨の中僕に真っ白な日傘をささせて歩く横顔も、よくわからないけどこれからもずっと、少なくとも一年に一回くらいは見続けられるんだろうと、僕に感じさせるこの得体のしれない何かは何なのだろうか。

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