価値を求めて、
ふとこの時間の時に、思い出したお話。
僕が小学校を卒業した春休み、中学生になるまでの休みの間、人生初の海外に行く経験があった。
これがいまのところ僕の人生の最初で最後になるかもしれない海外経験。
祖父母はリゾート旅行によく行く人たちで、今回はバリ島にいくことになり、僕や従兄弟などを連れて行ってくれた。
家族旅行みたいなものだ。
だから正直に日本語で全部が済むようなツアーで、
たいした海外らしい経験は現地での現地ならではの観光地に行くくらいだろう。
ここで僕はある経験をした。
川をゴムボートで下るラフティングというものに参加したときのこと。
これ自体はすごいスリリングで、
この年の僕にとってもかなり楽しかった。
途中の休憩スポットはちょっと開けた岩場だった。
そこで飲み物を飲んでいると、近くに現地の子供たちが寄ってきた。
「オカネ、オカネ」と手を差し出してきた。
まさか日本語が聞こえてくると思わなかった。
僕よりも少し小さい年の少年たち。
僕はびっくりしてなにも言えなかったが、
すぐに近くにいた大人たちが彼らを追い払った。
こういう観光地に行き慣れている祖父も、
こういうので1度あげるとずっとついてきちゃうからあげちゃいけないよ、と僕らに忠告した。
まだ深く考えられない僕はただ呆然と立ち尽くしていたが、なにか違和感を感じたのは確か。
ここでの違和感を今、言語化するのであれば、
きっと
・お金に困っている人が実際に世界に存在しているという認識
・貰うために彼らは「お金」を意味する言葉を色んな言語で知っていること
・助けてあげないこと
・現地の大人たちですら彼らとは線を引いて追っ払うこと
・彼らの親が見当たらないこと
・助けてあげないことに違和感を持ちつつ、自分にお金を乞われたことに嫌悪感をもったこと
もちろん、その瞬間にはその瞬間を正当化できる理由があったはずだった。
だけど、僕は初めてここで世界に存在している“価値”というもの、
そしてそれに振り回される人間という生き物に目を向けることになった。
この続きはまた今度。
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