平凡博士課程学生が心療内科に行くまで
はじめに
iromizuと申します。博士課程(理系)在籍中のその辺にいる大学院生です。所属大学の制度上既に規定年数超過は決まっており、最近ようやく来年度からの食い扶持をどうにかしたところです。
突然の反応に困る自己紹介から始まり恐縮です。タイトルの通り現在絶賛心療内科のお世話になっておりまして、ここ半年~1年弱の出来事について、自分の記録のため、そしてどこかの誰かの参考になるかもしれないという気持ちそして現実逃避でnoteを書いてみることにしました。
経緯
D進後のとある時期、予定されていたD論のための実験(以下D論実験)は少なくとも遅れ、予定していた年に実施することはできないようだ、ということがわかりつつありました。
博士課程在籍中あるいは既卒な読者の方からすれば「こいつは何を言っているんだ?」「ただの怠慢では?」と思われるかもしれませんが、自分の分野では割とよくあることです。当方の専攻分野で(D論)実験を行うということは誰かに責任があるわけでもなくかなり運が絡んでくるもので、実験の予定が遅れに遅れて未定になる、ということは頻繁にとは言いませんがそこそこ起こり得ます。実際自分の周囲でも、かなり優秀であるにもかかわらず、上記の理由からD論実験が遅れあるいは変更になり、n学年(nは4以上の自然数)になった方々も目にしてきており、そして自分も同じ状況になったというわけです。
なので諦めてちまちまと研究を進めて過ごしていたのですが、当初予定されていた実験時期のころ、突然数か月後に実験ができることになりました。実験実施が厳しそうと告げられた段階では実験本番までに半年以上時間が空いていたため、そのときに必要なものは物としてほぼそろっていない状態でした。そこで周囲の力を借りに借りまくり必死に働き、数か月後にどうにか実験を終えることができました。これを実験1とします。
そしてそれから半年もたたないうちに複数回実験を行うことになり、これもまたどうにか周囲の人に助けられ、必死に働きどうにかこれも終えることができました。これらを実験2,3,……とします。
明らかに自分の体がおかしいと気づいたのは実験2の終了後です。
実験2が終わり、片付けや少しの休日を過ごして少し経った頃、『家を出ようと思うと布団から出られない』自分に気づきました。詳細は後述しますが、いつも家を出る時間から気づけば30分遅れ、1時間遅れ、2時間……とどんどん遅れていき、気づけば週の半分は昼過ぎにようやく家を出る、時折家から出られない日すらある、という状態になっていました。
今考えればその時点で助けを求めるべきだったのですが、当時の自分の頭にはその考えが全く浮かばず、騙し騙しで生活を送ることになりました。
その後、実験3……が決まり、その前に学会発表がいくつかあり、他の研究内容について実作業があり、実験が目前に迫り……と、何か手を動かさねばならない状態に身を置くことになり、ここで微妙に調子が戻ってきたような気持ちになっていました。朝もほぼこれまでと同じ時間に家を出られるようになったため、その時は「燃え尽きていただけに違いない」と思っていました。
そして複数回の実験が終わった数か月前、また実験2直後の状態に逆戻りしました。さすがの自分でも「これは明らかにまずい」と思ったとき、ふと大学内カウンセリングのことを思い出しました。実験1より前に、別件で相談に伺ったこともあって担当の先生もいたため、とりあえず予約を取り、専門家に判断してもらうことにしました。
結果、「あなたは鬱の”症状”と見受けられる。投薬すれば数か月で回復すると思われるので、紹介する心療内科に行ってみて欲しい」と言われ、そのまま心療内科を受診し、やはり同じように診断され、現在薬を処方していただいてる最中です。
今考えるとおかしかったこと
ここからは、当時気づいていたこと、今考えたらおかしかったな、と感じることを前項で触れた内容含めて書いていきます。途中不衛生な記述がありますので、飲食中の皆様、不潔さに耐えられない皆様は3つ読んだら”おわりに”へ飛んで下さい。
布団から出られない
そもそも、自分は早起きが得意だと自負していました。学部生時代は1限授業の教室にはいつも一番乗り、何なら大学の開門時間に大学へ到着していましたし、研究室配属後は流石に開門時間に到着することはありませんでしたが、1限の開始時間には自分の居室にいるような人間でした。
また”サボる”という行動も論外だと思っていました。最近はなくなりましたが、学部生のころは他人のサボりに腹を立てたことも少なくありません。
それが、いつも起きている時間には目を覚ますものの、布団から出ようとすると体が重く感じました。気が付けばいつもなら家を出る時間なのにまだ身支度すら整えられず、しばらくしてようやく家を出るようになっていきました。はじめは「忙しかった時の疲れがまだ残っているだけで、しばらくしたら元に戻るだろう」と思っていました。ところが、状況はどんどん悪化していきました。経緯で書いた通り、最初は30分程度の遅れだったのがどんどん伸びていきました。
そして気づけば朝起きられない、布団から出られない、なんならサボっているような状態が続きました。
連絡ができない
つまりは指導教員への報連相ができなくなりました。
断っておきたいのは、指導教員や学生含む周囲の方々には非常に恵まれているということです。アカハラ等はもちろんなく、皆さん非常に親切で、明らかに調子を崩した自分に対しては基本的には普段通りに接してくださり、二人で会話した際に心配している旨を伝えてくださった方々も多かったです。本当に感謝していますし、当時の自分も人に恵まれていることは重々承知していました。
そして、それまでの自分は定期的に自分の予定を伝えることを難なくやっていました。そして、半年に1回ほど起きていた朝起きて「無理」だとわかる”行けない日”も欠席の連絡をすぐできていたわけです。
これができなくなりました。
経緯で書いたような布団から出られない間、「午後から行くって今週何回目だろう」「突然休むって言ったら怒られるかな」……と、どう考えても早く連絡すればするほど良いことを、そんな思考でメッセージを送る手が止まり、ギリギリになって連絡できる日もあればできない日もありました。これは調子を取り戻してきた段階でやんわりたしなめられ、猛反省して今はどうにか連絡だけはできる限り早くするように努力しています。ただ、現在も「努力」が必要な状況です。
突然涙が出る
「決定的じゃん」と思ったそこのあなた、ちょっと待ってください。
自分はかなり涙腺が弱く、好きなバンドやアイドルのライブはOPで号泣するのはもちろん、あくび一つで涙一粒、普段話さない自分のことについて口にすれば涙があふれ、ひたすらに明るいアイドルの曲を聞いてあまりの眩しさに涙が頬を伝い、エトセトラエトセトラ……な日常を送ってきた人間です。なので、『ちょっと忙しくて涙が出たっぽいけど、いつものことだよね』と思う程度でした。
ですがよく考えてみると、これまでの涙ははあくびにしろその他感情の高ぶりにしろ、『あ、涙が出そうだな』を事前に察知できていました。ところが実験1以降、周囲から「大丈夫?」と言われた瞬間に自分でも全く予想できずに気づけばマスクが使い物にならなくなるレベルでボロボロと涙を流し、その後最低10分は何かできる状態ではなくなっていました。どう考えても体が限界を訴えていたことでしょう。余談ですがこのあたりからすれ違う知り合いと会話するたびに「元気なさそう」と言われるようになりました。
部屋が”終わる”
Twitter生息オタクしぐさで失礼いたします。
お恥ずかしながらそもそも自分は片付けが苦手で、現在も部屋にはモノがあふれまくっているのですが、それでも”足の踏み場がない”状態にはなったことがありませんでした。整理整頓された状態とは程遠くとも、ある程度衣服・本・日用品・グッズなど種類ごとに場所を決め、通路を侵食しない状態ではありましたし、実際ゴミ捨ては心療内科に通う前もできていました。
ところが、実験2以降、ふと気づくといつも難なく歩ける場所をまたいで通っている自分に気づきました。本来なら届いたその場で解体していた段ボールがどんどん部屋のスペースをとっていたのです。
よく目にする「部屋が片付いていないと精神も安定しない」的なフレーズを実感したことでした。
お風呂掃除と入浴の頻度が減る
☆☆☆描写は最低限ですが苦手な方はマジでお逃げください☆☆☆
一つ前で片付けが苦手だと書きましたが、一方で水回り、とりわけお風呂掃除は自分の中でも好きな家事の一つでした。そしてキャンセル界隈が話題の入浴については、自分はむしろ毎日湯船でゆっくりすることが一日の楽しみである程度にはお風呂好き、どんな日でも湯船につからない日は無いといっても過言ではない生活を送っておりました。実験1までは。
それまでといえば、お風呂に入ってゆっくり温まった後、お湯を払っている間に着替え、その後掃除を終わらせ、翌日またお風呂に入り……
というルーティーンをこなしていたのですが、ある時、お風呂上りにふと
「明日洗えばいいか……」
と思ってしまった日がありました。終わりの始まりです。
そして案の定それを忘れ入浴し、入浴し、入浴し……あれ、最後に掃除したの、いつ?となったわけです。ぞっとしました。お風呂から飛び出て浴槽を洗い、明日からは大丈夫だ、と思った次の日には忘れ……を何度も繰り返しました。
そして、一日のお楽しみ、リフレッシュタイムだった入浴が、気づけば物凄く億劫になっていました。翌日外出予定のない日に「今日はいいか……」と思い1日キャンセルし、その翌日は外出予定だからと入浴し、平日は研究室に行くから入浴し、という日々が続きました。これでも思えば異常事態なのですが、気づけば平日でも入浴しない(今思うと”できない”かもしれませんが)日が生まれ始め、でも外出するからごまかすために手持ちの香水を使ってどうにかして、という状態に陥りました。
今思えば、
入浴=楽しみ
だったはずが、気づけば
入浴=外界で体裁を保つための作業
となっていたのだと思います。
おわりに
これまで、現在思い出せる範囲でことの経緯や自分に抱いた違和感を書いてきました。
前項で書いたことはあくまで自分の一例ですし、別の人ならもちろん違うことが起きるでしょうし、今後自分が再度同じ状況になったときに同じことが起きるとも限りませんが、一つだけ確実に言えるのは、全て
『今まで当たり前にできていたことができなくなった』
ということです。
少し話がそれますが、実は、自分の周囲には”うつ病”と診断されて障碍者手帳をもらっている人が複数人存在します。そのおかげで、カウンセリングや心療内科へ行くことのハードルは非常に低かったです。カウンセリングの先生から「行くことに抵抗はないですか?」と聞かれ、ありませんと即答した記憶があります。一方、その診断された方々は自分と比べても(比べるのはよくないのですが)非常に努力家でまじめな方々が多く、カウンセリングの先生のことを信じてはいるものの、「自分なんかは行くレベルではないのでは」と心のどこかで思っていました。
そして心療内科にかかった際も来ることに抵抗はなかったかと聞かれ、自分は、今思うと大変失礼ですが、「もっと重度の人が来るところだと思っていました」*と答えました。その後また会話をした後にいくつか(本来の意味での)心理テストを受け、結果を見た先生からは「さっきあなたはああ*言ったけど、あなたも相当ですよ」との旨を伝えられました。
それでも、先生からの診断は「薬を飲めば数か月で戻るであろう」とのことでした。
今思えば、自分のあの*発言は、”せき・鼻水が止まらず喉も痛くて頭痛もあり発熱していて歩くのもやっとな人が『病院に来るほどではない』と言っている”ようなものだったのだろうと思います。見返しても明らかですが、完全に生活に支障が出ていて、”日常生活”は到底できていませんでしたし、今でも日常生活とは程遠いと思います。
これを目にとめてくださった皆さんは、大学院生にしろそうでないにしろ、心当たりがある方が多いのかと思います。専門家ではありませんので不確かなことは言えませんが、”日常”を過ごせているかどうかを気に留めてください。そして、おかしいなと思ったら『まだ行くほどでは……』と思う前に、できるだけ早くどこかに頼ってください。風邪をひいたら病院へ行くように、”まだ頑張れる”うちに専門家に聞いてみてください。
そのような場所があることを切に願います。