自分の小さな箱から脱出して過ごす
みなさん、こんばんは!
諏訪剛史です。
SNSをいくつか試してみて、情報収集、活躍している人の動向や強み、そこから得る感情や知識など色々と想いを巡らせてみたのですが、
やはり自分は「文章を書く」ということに価値を感じるし、自分の持っているものを文章にして具現化するのが向いている気がしたので、自分とそれを読んでくださる方に何かプラスになることを残したいことに至りました。
僕は大学3年生までは読書や活字が苦手で、インプットもアウトプットもしてきませんでした。
活字にふれるきっかけも、大好きな漫画のノベルが出ると知って読みはじめ、そこからamazonサーフィンをするようになって、読書の世界にのめり込んでいきました。
そんな僕が将来の進路を考える時に読み、文字通り本で人生や価値観が変わるのだと衝撃と共に教えてくれた座右の書に、
「自分の小さな箱から脱出する方法」があります。
この本から得たものは計り知れないのですが、僕は自分が一つ年齢を重ねる前に、今の自分を作った価値観を振り返っておこうと思います。
人を人として見ているか、モノとして見ているか
僕たちが生きていくためには、否応なしに人との関係性やつながりに向き合うことが必要です。
そんな中で、人として接しているつもりでもその人をモノのように扱ってしまうことがある、とこの本は説きます。
例えば、自分が目的地へ急いでいる道中の幅が狭い階段で、掃除をするためにかがんでいる人がいたとします。
その時に湧き上がる感情は、「こんな急いでいる時に道を塞いで掃除なんかしてんなよ」というものだとしたら、公共の場所を綺麗にしてくれていることへの感謝や背景などは脳裏をよぎることなく、その人を「自分の道を塞ぐモノ」として見てしまうでしょう。
ですが自分が急ぎではなく、街をぶらぶらしたい時であればどうでしょう?
自分がいつも通る階段を綺麗にしてくれることへの感謝や、人通りが多い場所での作業は気を使うだろうなと背景や配慮まで気を配り、その人を「自分の道を綺麗にしてくれる素敵な人」として見られると思います。
このように、同じ人・行動だとしても、自分の状況やあり方によって全く違う捉え方をできてしまうことがあり、人をモノと見ている状態を「自分が箱に入っている」とこの本では表しています。
僕はこの考え方を知った時に、いとも簡単に人は箱に入り得るし、箱に入った状態で行われるあらゆる行為の結果が本来よりも劣るものになると理解しました。
そして同時に、自分が箱から出る方法はこれしかないとも学びました。
希望なのは、箱に入っているのを気づくこと、箱から出るのを決めるのは全て自分次第で可能であるということです。
そして、箱に入ってしまうのが人間であり、それ自体ではなく箱から出ることに注力すれば良いということも大きな気付きでした。
いかに自分が箱に入らない時間を多くできるか、それにこだわるだけで人間関係の質、自分の心身の安定につながると考えて、この教えを振り返られる自分でいたいなと改めて決意しました。
次回は、どんなときに箱に入ってしまうのか、箱に入るとどんな影響があるのかをまとめてお伝えします。