この横浜に優るあらめや

ついに我らが横浜F・マリノスは15年振り、悲願のJ1優勝を成し遂げました!
令和初チャンピオンです!

得点王は仲川輝人マルコス・ジュニオールのW受賞!
2人合わせて30ゴール
マリノスからは93年の初代ラモン・ディアス以来。
そして同一クラブから2人は史上初の快挙でした。

そしてMVP仲川輝人
15得点+9アシストで背番号「23」(ニッサン)の目標を超え、ポステコ信者として攻守にわたり大車輪の活躍でした。


優勝決定戦となったFC東京との最終節 "THE BIG FINAL"
チケットが発売日に瞬く間に売り切れる争奪戦の結果、いつものファミリーエリアではなく隣接するバック自由を確保して決戦に臨みました。


振り返るとあの2013年ホーム最終戦、勝てば優勝という試合に生後2ヶ月の長女を連れていき、6万人を超える観客に揉まれる自由席エリアと赤ちゃん休憩室を行き来しながら観戦するも…待ち望んだ瞬間は訪れませんでした。
*妻にはいつも感謝しております。

逆転で戴冠を逃したこの年以降も、毎年片手で数える程度は子連れでスタジアムへ。

しかし行くとなぜか勝てない。
次女も生まれ、長女が「傘(※トリパラ)回した~い」とのたまうも、なかなか勝利の瞬間に立ち会えず。

なんなら長女はふあふあやトランポリンのある遊び場と思ってる節がある。
まぁいいんですけど。

その間、マリでん企画の特別観覧室(よく代表監督が視察に来た時にいるエリア)での観戦という貴重な体験をさせてもらったりもしましたね。

ようやく念願の初トリパラを披露できたのは今年、鹿島戦 ”THE CLASSIC”
子連れ観戦になって7年目、平成最後のホームゲームでした。


そして迎えた最終節。
まだ何も掴み取ってない、最後まで攻め勝つと思って臨んでいましたが、次女を膝の上に乗せたままハーフタイムライブでタオマフ振ってたら急にぐっと来て号泣しかけました。


2013年の記録を塗り替え、J1最多入場者数を更新したスタジアムで掲げられるシャーレ。

もう本当に、最高でした。


・・・・・・・・・

実に15年も優勝から遠ざかっていたマリノス。
優勝争いすら2013年のみ。(その悔しさをバネに、フリューゲルス有終の美以来、マリノスとしてはJリーグ開幕後初めて天皇杯を獲りますが)

もはや”古豪”と呼ばれるような存在になっていたわけですが、攻撃的スタイルへの変化とそれを貫いて優勝争いを繰り広げたことで、シティ・フットボール・グループ(CFG)との提携効果をはじめ、話題に多く取り上げられたシーズンでした。

これも、今のマリノスの礎を築いたと言って過言ではない嘉悦朗社長、そして続くリーダー達とすべての人達の変革への挑戦の賜物です。


スタイルの確立とモダンサッカーへの挑戦

嘉悦社長が実現した、2014年より始まったCFGとの提携により、グローバルなスカウティングデータベースの共有、専門スタッフの交流などが始まり、ピッチ上にモダンサッカー改革がもたらされました。


2015年、エリク・モンバエルツ監督招聘もその一環です。

「メインテイン・ポジショニング」など今季のサッカーの基盤となる概念を3年間でチームに植え付けていきました。


そして2018年、優勝経験を重視してアンジェ・ポステコグルー監督を招聘。
Brave & Challenging 勇猛果敢」をスローガンに「アタッキング・フットボール」を標榜します。
前年に当時41歳という異例の若さで就任した古川宏一郎社長とアイザック・ドルSDは目指すサッカーのスタイルと求める選手像を明確に示しました。


後を引き継いだ現在の黒澤良二社長も小倉勉SDとともにポステコグルー体制2期目に向けた準備を着々と進めていきました。


今季は夏のウィンドーでの入れ替わりも含めて登録選手35名中、実に29名がリーグ戦に出場。
まさにチームの総力を結集したシーズンでした。


なお、モンバエルツ前監督は今季から同じCFGのメルボルン・シティ監督に就任とのニュースがありました。
来年のACL出場はないようですが、いつかアジアの舞台で再会できたら嬉しいですね。


ファンエンゲージメント、サポーターとの共創

村井チェアマンのコメントにあったように、

ファン・サポーターとの距離を縮め、さらに多くの方々にクラブを好きになってもらうための新たな取り組みにも熱心

というところも近年の大きな変革でした。


2012年に「アンバサダー」という新役職を設置し、前年引退した波戸康広を登用したことが端緒だったと思います。
将棋親善大使としての顔を活かしたコラボレーションも多数行われました。


今やすっかり定着した、選手入場前にサポーターと合唱するテーマソング、レ・ミゼラブル「民衆の歌」は2013年から。
帝国劇場とのコラボレーションも定番となりました。


2014年シーズン終了後には、選手主導イベント「マリノスナイト」がスタートします。
仕掛け人は選手会長中町公祐"DJ"小林祐三のコンビ。選手による音楽イベントという、前例のない企画でした。


チェアマンが言及した「横浜沸騰プロジェクト」や市営地下鉄横浜駅改札前の巨大な #リアタイ順位表 はここ3年ぐらいに始まった挑戦です。


アジャイルメディア・ネットワークとパートナーを組んでスタートした「横浜沸騰プロジェクト」SNSを活用したサポーターとの共創システム。

発信力の高い「スーパーファン」を巻き込んだこのプロジェクトから様々な企画・グッズが生まれ、先述の"THE CLASSIC""THE BIG FINAL"のようなホームゲーム企画やトリパラグッズなどが展開されていきます。


また、クラブ創設25周年のタイミングで公式アンセムを製作。


さらには、選手やコーチだけでなく、クラブを支える様々な立場の人々にスポットを当てた、エモさ溢れるコラム・動画コンテンツ「まりびと」


マリノスナイトのゲスト・MINMIとのコラボレーションで、ゆず「We are F・Marinos」と並ぶ新たな応援ソング「WINNER」も生まれました。


Jリーグ初のeスポーツへの参入も話題となりました。
特に第一弾が「RAGE Shadowverse Pro League」というサッカーゲームではないところも驚きを呼びました。


そして今年からチーム密着ドキュメンタリー「THE DAY」の制作・配信もスタート。

いわばマンチェスター・シティ「ALL OR NOTHING」のマリノス版で、シーズン中に順次公開していく連載形式です。


最終節に向けて、大津祐樹発信のTwitterハッシュタグ #すべてはマリノスのために のトレンド入りや先述の #リアタイ順位表 など、様々な仕掛けも行われました。


パートナーとの取り組みも活発です。

沸騰プロジェクトに参加してコラボ製品を矢継ぎ早に生み出すOwltechや、スタグルに革命を起こしたCatering&Delivery Service Associationとの価値共創には目を見張るものがあります。

そしてメルコリゾーツ横浜への本気度
300万人都市でJクラブが3つに対してプロ開催可能スタジアムが2つ(日産スタジアム、ニッパツ三ツ沢球技場)という現状を考えたとき…IRに期待するものは少なくありません。


クラブの自立と持続

これらの変革もすべてはクラブの永続化のため。

10年前の2009年夏、「日産リバイバルプラン」のプロジェクトチームの中枢において日産復活に貢献した後、かねてより希望していたマリノスの経営を任された嘉悦社長。

クロスファンクショナルチーム(CFT)など組織改革の手法を持ち込み、親会社からの赤字補填で収支を合わせていたクラブを独立経営できるまでに立て直していくこととなります。

それは単にコストカットするというだけでなく、

お金がない
→選手に投資できない
→勝てない
→お客さんが集まらない
→お金がない…

という負のサイクルを逆回転させるため、人(強化費)には投資しながら収益力向上に取り組む改革でした。


まず日産による損失補填を止めて厳しい現状を可視化、社内に危機感を醸成するとともに観客数20%増という目標を掲げ、変革に挑みます。


1. 入場者数増加への挑戦

正式に社長職に就く2010年、木村和司監督就任と中村俊輔復帰で話題を呼びます。

そしてCFTで生まれたアイディアから

・日産スタジアムお膝元の港北区にフォーカスしたホームタウン活動
・他競技や他エンターテインメントとのコラボレーション
・ボランティアスタッフのホスピタリティ向上

と、今も土台となる施策を実行し、この1年で観客数は16%増を果たしました。
目標には届かなかったものの会社としての自信になり、引き続き変革に邁進する原動力となります。


ただ、このシーズン末は大きな爪痕を残す出来事がありました。

松田直樹の契約満了の報にサポーター騒然。
山瀬功治、河合竜二、坂田大輔らも非更新となり、最終節は異様な雰囲気となりました。

結果的にではありますが、クラブの情報管理、選手とのコミュニケーション、サポーターとの向き合い方などに深く変化をもたらすことになったと感じています。


初年度の成果を糧に、2011年からはMAP13(2013年までに驚異的な成長をするという目標。平均入場者数4万人など)を策定し、さらなるチャレンジを進めます。

兵藤慎剛はじめ選手からも「日産スタジアムを満員に」というムーブメントが起こり、クラブ・サポーターとも共通認識を持つ流れができました。


MAP13の進捗としては、2011年の震災の影響もあり必ずしもプランどおりではありませんでしたが、改革はじっくりと進んでいると見られました。

しかしクラブの存続を左右する大きな危機が迫ります。


2. 迫るタイムリミット

それは2013年からクラブライセンス制度の導入が決まったこと。
累積債務を抱えたままではライセンス剥奪となり、Jリーグ退会の危機に立たされたマリノス。
中長期的に取り組むはずだった債務超過解消は待ったなしの状況に置かれました。

この2013年は、一連の改革で急成長したスクール事業とグッズ事業にも支えられ、単独黒字化を達成します。
わずか数百万の利益でしたが、毎年5億程度の赤字を垂れ流していたクラブにおける再生の兆しでした。

そして問題の累積債務解消と将来的な経営基盤の安定のため、重要な意思決定を行っていきました。


3. シティ・フットボール・グループ(CFG)との提携

2014年、日産の保有する株式(約93%)のうち20%をCFGが取得。
UEFA CLをスポンサードする日産がCFGとパートナーシップ締結、CFGが日本法人を設立してマリノスと提携という三者によるスキームです。
その一つとして"最後の日産マネー"によって累積債務を解消します。
そして同時に"日産依存"脱却への一歩と言えます。


4. マリノスタウン(みなとみらい)撤退

2015年、翌年限りでのマリノスタウン撤退と新横浜への移転が発表されました。
左伴繁雄社長時代の2007年にオープンしたみなとみらいの広大な練習場兼クラブハウスは、横浜市と10年の賃借契約で契約更新のタイミングでしたが、賃料(一説には推定5億/年)がクラブ経営を圧迫していたことから撤退の決断を下します。


なお、新横浜への移転を完遂したのは2016年(後任の長谷川亨社長)。

そして2018年、古川社長のときに久里浜に新練習場を建設する方針を発表。
黒澤社長に代わって横須賀市と基本協定を締結2022年より新マリノスタウン(仮)が本格稼働することが発表されました。


・・・・・・・・・

今のマリノスの姿はこの10年間の変革の積み重ねの結果であることは間違いありません。


本記事のタイトルはご存じ横浜市歌の一節。
これは独善的な態度を表すものではなく、"進取の精神"を以って変革に挑み続けながら頂点であり続ける宣言です。


これからも勇猛果敢に

去年と今年、中澤佑二栗原勇蔵と偉大な選手が引退しました。

岡田武史監督時代の連覇(2003,2004)を知る選手はいなくなることになります。

喜田拓也キャプテンを中心に、ここからは4つ目の星を勝ち取ったメンバーと共に新たな航海の始まりです。


来季は、2度目の連覇アジアへの挑戦。
特にACLは2004,2005,2014と過去3回グループステージ敗退に終わっています。

そして観客動員4万人へのチャレンジもまだ道半ば。


勇猛果敢に、第2章開幕です。

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