AIイラスト作品から見いだせる労力という価値
○前置き
まず一つ。私は絵描きさんのAI作品忌避感も理解はできるし、私自身もすごいクオリティの絵だなぁと思ったらAI作品でがっかりしたということもあります。そのうえでツイッターでもAI作品を披露している方をフォローしてるし、一つのアートを楽しむ感覚で見ることができています。
だからと言って必ずしも絵描きさんにも、AI作品を投稿されている方々にもどちらか一方に肩入れするという気持ちはありません。
どちらにもモヤモヤを感じたら「私はこう思う」と発信します。これはずっと見てきたVtuber側とリスナー側、企業、個人に対する私の立ち位置やその界隈への価値観も一貫していますし、ここに通じるものがあります。
そのうえで今回ツイッターに投稿した殴り書きをまとめました。
○私的『AI作品の労力に対する新たな価値観の見出し方』
※↑練習期間もしくは、絵を描くにあたっての資料集めに通じるものとして捉える。
絵を描くことが楽しいと思うのなら、AI作品を作ることを楽しいと、楽しんでも良いと私は思います。そしてそれは、絵描きさんもAI作品投稿者さんも、どちらも互いにその部分を否定してはいけないと思います。
デジタルでもCGモデルやモデリングなど、「何かを作るには何かを作るための前身(事前準備など)」というものがありますよね。なので、何かを作る、お出しされるには全てにおいて労力がかかっているということを忘れてはいけないかと。
ボカロに例えるとボカロやUTAUにも調教や調声というものがあって、その調教や調声をした歌唱データを頒布してる方もいます。AI作品を作るっていうのは、歌を作る際に第一人者が一から調教調声を作られた物であり、そして第一人者によって作られ配布されたその調教調声データ部分を使うかどうかという者にも通じると思うんです。
結果的に、AI作品=新たなデジタル作品としての1ジャンルとして、そのカテゴリーができてもいいのではないかという結論にたどり着きました。それこそMMDのような形で。
○AI作品配布による正負の側面
配信向けに無料配布されているAI作品の素材で苦しんでる背景イラスト製作者の方が苦しんでいるツイートを見ました。この一連のツイートを見て心苦しかったです。
その方は「フリー素材が悪いということではなく、せめて有料で等価値にしてほしい」と仰っていました。
誰も悪くないんだ……。だが絶対的に良いことともいえない……。
フリー素材に人が流れるのは当たり前のことだとは思いますが、逆にここがVtuber界隈の弱点ともなりえそうだと思いました。良くも悪くもこの世の中は何かしらでバランスがとられるものなので、どちらか一方にその比重が傾くと何かが崩れてしまう可能性も……。その何かに対する答えはわからないので出せないのですが……。
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