汚部屋で育成&洗脳された私が、ミニマリストもどきになった経緯
いまでこそ『身軽に生きる』を価値観の1つに掲げて
常に身の回りのモノに目を光らせている私だけれど、
もともとは純度100%の汚部屋製だ。
21歳で脱出するまで過ごした生家は、2DKの最悪に汚い《うなぎの寝床》だった。
どれくらい汚いかというと、
まず絨毯の上を小虫が大量に蠢いているのが当たり前。
服と本が床に広がっているため、掃除機の登場は非常に稀。
こんな所で子供育てんな。
寝床はもちろん万年床で、母親は1日2箱を家中で喫煙。
最悪のニコチン充満賃貸。
玄関はバスマットくらいしかないくせに、24人家族かってくらいの靴と傘で溢れていて、大きく跨がないと家に入れない。
ちなみに巨大な木製の靴箱は開けるとモノが降ってくるので、開けちゃいけない。
シンクは常に食器やフライパンで山盛りで、
水を数週間変えない(何でだよ)洗い桶に突っ込まれてる。
洗面所も終わっていて、もはや洗面に使えないので
洗顔も歯磨きもキッチンで行う。
それゆえに調理器具と洗面用具が混在。
風呂は大量の容器ゴミが隙間にねじ込まれて、そこから羽虫が常に湧いているので、
虫を殺しながらの入浴が当たり前(ハイもう地獄)。
ピッッッッッチリ沿うように天井まである母の婚礼家具が家中の壁を覆っているので、
私は生家の壁を知らなかった。
その家具同士を繋ぐ橋のように物干し竿が渡されていて、タンスに納まらない服が掛けられて竿がたわんでいる。
バランスが悪いため何度か竿が降ってきて、
ゴチンと頭上に星が散るような思いをしたことがある。
いつ死んでもおかしくないハウス、それが我が家。
そして、私の母や祖母の教えは汚部屋コーディネーターそのもの。
「モノは捨てたらもったいない、可哀想」
「貰ったモノを手放すなんて失礼」
「収納を買い足せばいい」
「詰め込んで入ったらOK」
という思考で育てられた。
そんな私は21歳で、毒母(メンタル疾患持)から逃げるために実家を脱出。
ブラック病院に勤務しながら、
駅のホームからダイブをキメるか否かのスレスレの生活を始めた。
月に6日しか休みがないのに一人暮らしの家に帰る度に疲れが増し、
①実家から持ち出した私物と一人暮らしで大量に増えたアイテムの数が単純に多すぎる
②色味もテイストもバラバラで、情報量が多すぎる
の2点に気づき始めたのはこの頃。
ふと「モノ 多い 邪魔」で検索をした。
そして、
やましたひでこ氏の『断捨離』
近藤麻理恵氏の『ときめく片付けの魔法』
佐々木典士氏の『ぼくたちにもうモノは必要ない』
に出会い、衝撃を受けたのだ。
『モノを捨てること』と出会ったあの日。
私は本を読み終え、固く決意した。
片付けを通してモノと人生を厳選し『ミニマリスト』になることを。
まず思い立ったら勢い余ってしまう傾向があるので、
最初に本棚とタンスとラックとカラーボックスを捨てた。
モノの巣窟の一掃。
とりあえずデカイものから捨てとこって思った。
するとまぁ当たり前だけれど、
綺麗に納まっていた”大事そうに見えたモノ”が、巣を失って部屋中に溢れた。
こんなもん、もう途方に暮れる。
でも床に溢れかえったモノをよく見ると
今のときめきも思い入れも無く埃を被って、むしろ
「これ本当は要らないんだけどな……。」
というめちゃくちゃ失礼な感情を抱いていることに気づく。
手放していい、もうモノを解放していい合図だった。
そこからは『ときめく片付けの魔法』の手順に沿って、
「前はときめいた、あの時はありがとう。」
「もう今は私の手元に居る方が可哀想。」
「私が実家から離れたように、モノも次の形へ手放してあげたい。」
と呟きながら、毎日黙々と選別&捨て作業にいそしんだ。
可燃ごみ45Lを15袋ほど手放したところで、
家に必要なモノの色味が情報として鬱陶しくなってきた。
「なんで黒と茶色と青とベージュと黄色なんだよ……!!!!!」
ベッドや電子ピアノなどその時に必須だったインテリアは、買い換えるかリメイクシートを貼ることで、
色という視界情報を減らしていった。
あの時の行動は狂気に満ちていた。
次にプライベートの事情で転居する時には、
ついに自家用車1台で転居できる状態になっていた。
新居に広げたものがあまりに少なすぎて、
しばらく出窓をテーブル代わりにご飯を食べてみたりした。
マットレスを床に直置きしていたら、
ちょうど仕事で腰椎ヘルニアを発症して起き上がり動作に地獄を見ることになった。
それでもモノを買うよりも、不便さの中の心地良さが上回った。
こうして、
モノとの関係性を適切に結び、
本当に必要て大切なモノを使って生きる人間になった。
ミニマリズムが常態化した。
私には、
厳選したモノを大切にしたい、身軽に生きていろいろな体験を重ねたい、という思いの奥底に
「もう二度とあの汚部屋で生きたくない。」
「汚部屋に戻りたくない、あんなモノと虫とゴミに溢れた家に帰るのは嫌だ。」
という根の深い問題がある。
でも、だからこそ。
そんな汚部屋を経験した人間だからこそ、
強い想いで1つ1つのモノと向き合い、思い出と向き合い、快く厳選して手放せると思っている。
もしモノが多い環境で育ったり、
整理整頓や定期的にモノを手放すことを教えてもらえなかった人が居たとして。
家に帰り家で過ごす度に、モヤモヤを抱えているとしたら、
少しずつ自分の”本当に大切なモノ”を家から救出する作業をしてみて欲しい。
私のようにモノの巣窟である収納を早々にグッバイ👋してしまうと、
床にあらゆる小物が散らばり生活が一時的に大変困難になるという荒療治なので、それはお好みで。