誰かに肯定してほしくて自分を傷つける
久しぶりの投稿ということで、自分は今何を伝えたいのだろうかと考えたらやっぱり普段感じていることを言語化することをしたいらしい
文章として吐き出しておきたいのだろう、はっきりと視認できる形にしたいんだろね
ひとまず、最近の自分がどんなことしているのかを書いていきたい
最近の大きな出来事としては、仕事を始めたということでしょうか
二月末にうつ病で仕事を辞めてからのはじめて雇用された形での仕事、よく続けられてるなあと自分でも思う笑
人との会話を避けていた時期もあったのでまだまだコミュニケーションが拙いところもあってうまく伝えられない時や会話のリズムを乱した時は今でも自己嫌悪に陥ります
ああ、自分ってコミュ障だなw(現実は笑えず、心が鉛のように重くなってテンションだだ下がりです。。。)
会話の仕方がわからなくって昔から他人の言葉を真似してきました、他人に自分はよくできている人間だと見せつけたかったんだろう
他人に自分を良く見せるようになったのは中学生からだったかな、他人に受け入れられるように他人にウウケるようなことをした
結果は、どれもつまらない結果だった。自分も見失った。
毎日不安だったのを覚えている、その世界でいきていけなければ自分は役立たずでいきていくことはできない。それが自分が生きるために身につけた処世術だったわけ(描いてて情けない気持ちになってくる笑)
今でも、それが残っているのを感じる瞬間がある。それは、他人の真似をした時。自分で考えもせず、それがさも正解のように疑いもせず真似をする時自己嫌悪に陥りる。自分の心でアラームが激しく鳴る。
他人から見たら、そんなこと気にしなくていいよって言われることなんだろうけど、僕はそれを無視することはできない。だって、胸がこんなにも苦しいのだから。今はアラームが鳴ってくれているからいいのかもしれないけど、いつか鳴らなくなったら?それが怖い
自分の頭でわからないことを心は知っていて、それを必死に知らせてくれているのだと思う。今それを無視したらアラーム機能が故障してしまうのかもしれない。自分がありのまま生きていくために大事なことを知らずに、誰かを演じた自分で生きていくことになるのかもしれない
それはとっても不確実で目には見えないことなのだけれど、僕は信じてみようと思う。信じた先に自分が求めている理想の自分がいてくれているのだと思うのだから、迎えに行かなきゃ。
自分以外の誰かに肯定してほしくって誰かの真似をして生きてきた。結果は、自分のことを素直に肯定できない人間になっていた。自分よりも他人を肯定する人間になっていた。
どうしてこうなる前に誰も教えてくれなかったのかと思いもするが、大人になった今それを嘆いたところで時間は戻らない
だからこそ、誰にも気づかない必死の抵抗をしようと思います。書いてる中で気づいたのは、自分が最も求めていることは本来の自分を取り戻すこと。
自分の人生においてやりたいことはイメージしているけど、それ以上に大切にしていきたいのは自分が自分らしく本来の力を発揮できるようにサポートすること
そんな感じでいこうと思います(*´∀`*)♪
余談ですが、かごしまデザインアワード 2018 パブリックデザインコンペに出ます!
正直、企画書だとか作ったことないので不安だらけなんですけど、、、笑
だからこそ、こうやって宣言することで何がなんでもやるように仕向けて行こうと思います!
来月初めに取材で鹿児島行くので鹿児島の方よろしくお願いします!!!!!!!!!!!!!ヽ(*´∀`)!!!!!!!!!!!!
また書きたいときに更新しまーす!
読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m
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