平等という病。
「平等」
偏りや差別が無く、みな等しい事。
「人は皆、平等であるべきだ。」
そう言って社会システムを変えようとしてきた過去の偉人達がいます。しかし変わらなかった。
何故か?それは端的に言うと
「平等が存在しないから」
平等を追いかけると「こんな不遇なのは、誰かが搾取しているからだ。」「時の首相、大統領、政治家が悪い。」「会社が悪い。」「あいつが悪い」「上司が悪い。」つまり「誰かのせいでこんな事になっている」こう考える訳です。
「僕は頑張っているのに評価されない。」果たして、悪いと思っている人がいるから自分は不遇なのか?
僕は、違うと明言したいです。最初から存在しない平等であるべき。と思う事で自分が持っていない物を羨ましがる。それは、「喧嘩が強い」「財力」「権力」「見た目がいい」等自分では解決出来ない事ばかり。
「世の中は平等ではない。」
それが現実世界だと言うことを前提に何が出来るか考えてみると、こんな自分だから「愚直にやる。」それしか無い。「そして近道もない。」もし若くして成功している人がいるなら、それはその人の能力を生かした結果がそうなったと言う事実でしかない。
凡人の僕は、目の前にいる大切な人を守る為にがむしゃらに働き続け、その中で少しだけでも未来がよくなる事を信じて、僅かな希望を抱きながら自己投資をする。
それが生きている間に花開くか、朽ちて無になるかはわからない。でも明日誰かの役に立ちたいという気持ちが僕の明日のやる気につながる。
それは誰もが平等であるはずもなく、個人の生育環境に基づく個人の価値観が影響された結果でしかない。
「人は、みんな違って皆いい。」
何故なら皆産まれた環境が違うから。
なら超えていく努力はどこで埋めていけばいいのだろう。
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