Siipとユダヤ
正体不明の幻影表現者 Siip
彼の「πανσπερμία」(Panspermia パンスペルミア)について感じていることを記しておく。あくまで個人の感じ方に過ぎないことを念頭にお読み頂きたい。
この曲は、初めて聴いた時から曲調も相まって、まるでユダヤ人のことを歌っているようだと感じた。数千年前の西アジアに降り立ったかのような感覚に陥る。
目の前に荒涼とした無機質な大地が広がり、人の営みがあり、空には薄暗い雲が広がっている光景が眼前にありありと映し出されるのだ。
背景の歴史について簡単に説明しておくと、ユダヤ人の歴史とは苦難の歴史である。
今から3500年ほど前、ヘブライ人(=後にユダヤ人と呼ばれる)はパレスティナに定住を始め、一部はエジプトへ渡った。
しかしエジプトで差別的な扱いを受けた彼らは紀元前十三世紀にモーセに導かれてエジプトを脱出する。(出エジプト)
その後パレスティナに帰還したヘブライ人たちはヘブライ王国を建国する。これが彼らの苦難を経てたどり着いた最初の王国である。
しかしヘブライ王国は有名なダヴィデ王・ソロモン王の死後に分裂し弱体化してしまう。
紀元前586年、分裂した両王国は征服され、彼らは自分の国を失い、バビロンに強制連行されることとなった。(バビロン捕囚)
ペルシアによって解放されるまでヘブライ人(この頃からユダヤ人と呼ばれる)は異邦の地で虐げられて生活することとなった。
そんな苦難の歴史の中誕生したのが、「旧約聖書」に基づいて唯一神ヤハウェを信仰するユダヤ教である。
どうして自分達だけこんなに辛い目に遭わなければならないのかということを彼らは考えた。
極限状態においては、何かに縋り付いたり、依存しないと生きていくことは難しい。絶望の中で、いつか救いの手が差し伸べられると信じなければやっていけない。
そして幸いなことにユダヤ人はモーセによって、またペルシアによって二度も絶望の淵から救われている。それらが原体験となってユダヤ教が形成されていく。
ヤハウェと契約するユダヤ人のみが救われ、(選民思想)いつか必ず救世主(メシア)が現れる(メシア思想)とするものである。
風が町を揺らして
空を黒が包んで
そう、また繰り返して
砦はもう朽ち果てて
息をしてる大地も年老いてって
これではまた同じ景色を見ているみたいだ
冷たく寂しげな風が町を揺らす。分厚い雲や煙に覆われ陰鬱な空気感。
戦乱は繰り返され、拠り所である神殿も破壊される。大地は焼けて荒廃していく。
情景描写と不穏なメロディがその憂鬱な空気感を肌に伝えてくる。
荒廃する土地。うんざりするほど何度も繰り返される悲劇。ユダヤ人を例に挙げたが、ユダヤ人に限った話でもない。何度も酷い目に遭って、辟易としている。それは民も、またSiipも同じなのであろう。
だからこそ民は何か希望を待つのだ。いつか救われると信じて。
悲しみに呑まれてしまわぬ様に
幻想を書き綴っておこう
それを灯と呼ぼう
これは宗教の起源に他ならないと思う。
幻想を書き綴ったものは、今では「旧約聖書」と呼ばれる。希望となる幻想を書き綴らないと悲しみに呑まれてしまう。それほどまでに彼らは限界なのだ。
悲しみに呑まれてしまうその前に
楽園を信じてみよう
旧約聖書になぞらえるなら、楽園とはすなわち「エデンの園」のことであろう。
無駄だと解っても酷な程 死に際も祈っていよう
この歌詞が痛切に心に響く。どれほどまでに彼らが追い詰められたのかを想像すると胸が痛い。
この歌詞はMrs. GREEN APPLEの「Soranji」における歌詞と相通ずる所がある。
両者とも、絶望の中に、無理やりでもいいから希望をみつけようと必死に足掻いてるのだ。
誰にも解けない
壊したり 壊されたり
ただ広く暗い先に
何があるか見せて欲しいの
戦争の理は誰にもわからない。古代は無差別な戦乱の時代でもある。出口のない憎悪の連鎖の先に一体どんなユートピアが待っているというのか。
ただこの歌は非常に美しく切ない句で締められる。
儚く眩しい世界なだけに
瓦礫に埋もれる愚かな殻に
生きゆく無常をただ知る度に
「美しさ」と呼ばずにはいられない