先時の人物
清末民初の動乱期に中国の行く末を示した梁啓超は著書「南海康先生伝」の冒頭でこのように語る。
「必ず、その平生の言行が、すべて全社会に影響し、一挙一動、一筆一舌に全国の人がみな注目し、はなはだしくは全世界が注目する。その人物の出現の前と後で社会の様相が一変する。このような人物こそ、真の人物である。
時に応じる人物がおり、時に先んじる人物がいる。ナポレオンは応時の人物であり、ルソーは先時の人物である。イタリアのカブールは応時の人物であり、マッチー二は先時の人物である。日本の西郷、木戸、大久保は応時の人物であり、蒲生、吉田は先時の人物である。その人物たるは同じであるが、時に応じて生まれる者は、その志す所、その従う所、ともに成就して、その身もまた尊敬と栄光、安逸と富裕を得、名誉があふれるばかりである。
時に先んじて生まれる者は、その志す所、その従う所、一つとして挫折しないことがなく、その身もまた窮迫し、危険と恥辱が集まり、国中が殺そうとし、つばきをはきかけて罵る。ひどいときには、辺地に流され死んだり、市場で処刑されたりする。
一身のためなら、時に先んじる人物より、まことに時に応じる人物の方がいい。だが、社会のためには、十、百の時に応じる人物を得るより、一、二の時に先んじる人物を得た方がいい。それは、時に先んじる人物が社会の原動力であり、時に応じる人物がそこから出てくる所だからである。
正しく言えば、時に応じる人物は時勢の造る英雄であり、時に先んじる人物は時勢を造る英雄である。若年で破れ、晩年に勝つ者があり、その身は敗れて、死してのち勝つ者がある。時に先んじる人物の最も不可欠の徳性は三つある。理想、熱誠、胆力である。」
引用:松尾洋二「梁啓超と史伝ー東アジア史における近代精神史の奔流ー」