タイトル
昼に書いたnoteは満足な出来から程遠くお蔵入り。
なんの創作意欲もわかない自堕落な夜だ。
そんな夜にちょこっとタイトルのお話を。
noteにタイトルをつけるのは、かなり難しい。
創作物である以上、少し深みのあるタイトルを冠したい気持ちは常にある。
ただ、読んでもらえなければ意味がない。
時々、ある一定の層をターゲットとして書くnoteがある。その時はその層にしっかり呼んでもらえるように、分かりやすく簡明なタイトルを付す。その場合は、タイトルが先に決まってることが多い。
逆に突発的にnoteを書きたくなった時、タイトルは最後に付けることがほとんど。
そういうnoteは感情の保存が目的であり他人に読んでもらうことを前提としていない。だからタイトルは比較的自由に、というかかなり自由に付すことができる。
小説を読み、最後にタイトルの意味が分かった時に感動するあの感覚。
曲を聴いた時、タイトルに込められた意味を知り感銘を受けるあの感覚。
タイトルはやはり看板であり、noteに至っては記事を開くまで他の判断要素がない。タイトルを見てそのnoteを読むかどうか判断することになる。
だからやはり魅力的で、思わず読みたくなるタイトルを、と思うが中々そう簡単に魅力的なものは思い浮かばない。
時代は遡って鎌倉時代。
後深草院二条という女性が14歳から49歳までの宮廷生活を綴った「とはずがたり」という日記がある。宮中の生々しい愛欲や激情が赤裸々に描かれたその日記のタイトルに当時高校生の自分は魅せられた。
彼女はこの日記を後世に読まれることを想定して書いたのかどうかは分からない。ただ少なくとも自分の日記に「とはずがたり」、「誰にも聞かれてないのに語り出す」というタイトルをつけるセンスに感服させられた。
文体についても魅力的で、高校の古文で読んだ程度の浅学ではあるが、好きだった。
だからそれを少し拝借して使っている。二番煎じ。
創作物だ〜なんて言ったって所詮は何かからインスピレーションを受けた二番煎じなわけであって0から創作するセンスは自分のどこを掘っても見当たらない。
日本のどこを掘っても石油がないようなものなのか、と少し悲観的な気分になってしまう。
そんなこの記事のタイトルはタイトル。なんの面白みもない。