familieが泣けるワケ
5ヶ月連続リリース
Mrs. GREEN APPLEとしても初めての挑戦。
4月 深みの増した青春とその裏に長く伸びる影を歌った「ライラック」
5月 選択の連続である人生で、背中を押してくれるような「Dear」
6月 好きになれない自分・日常を愛することを教えてくれる「コロンブス」
7月 勝負する全ての人に寄り添う「アポロドロス」
そして8月6日、その最後を盛大に飾る名曲がリリースされた。
familie
ドイツ語で家族(family)を意味するタイトル。
この曲はHONDAのCMソングとして書き下ろされた。先日のスタジアムツアーでもリリース前ながらアンコールで披露された。
軽快ながらも、温かさが詰まった曲だなぁというのがリリース前の印象。
その印象は全くもって正しかった。最近の曲にしては珍しくほとんど生音のみで構成されてるのも温かさを醸し出している。
でも、その曲は、見かけ以上に重く、大きく感情を揺さぶってくる曲だった。
この「君」って誰のことなんだろうなぁ。第一印象はファンのことだと感じた。ミセスは、ミセスが良いと感じた方向に進んでいる。その先にワクワクが広がってると信じて。
だからこそ、ミセスの「好き」をファンがどう受け取ってくれるのか、という解釈が妥当な気がする。(その後の歌詞の繋がりも)
でも、これをもし他のメンバー・チームに対してだとしたら、歌詞のもつニュアンスも変わってくる。
少なくとも今、側にいてくれている人に対して言っていることは、その後の歌詞から明らかだ。
随所に自動車会社のタイアップ曲であるとこを思い出させてくれるフレーズが落とし込まれている技法には息を飲む。
「燃料」は言い換えると、「エンジン」だ。大森元貴は過去にインタビューで、自分はミセスのブレインであり、エンジンであると語っている。自分がエンジン、燃料としてファンor仲間を未来へ連れていくんだ、という意味だと解釈できる。
この歌詞がズシーーーンと心に染みわたる。
familieリリース前のインタビューで、大森は以下のように語った。
人それぞれあると思う。温かな大事なモノ。あの時の忘れたくない感情、何気ない日々、帰りたくなる場所、会いたい人。そういった、大切な日々・思い出こそがある種の故郷だったり、家族だったりするんだろうな。
青春とかって多分そういうもの。恋愛とか部活とか勉強とかに打ち込んでさ、そういう時って無我夢中でどれほど輝いているか分からないもの。でも、後から思い返すとものすごくキラキラしてて忘れたくない思い出。
青春に限らず、小さい頃の車の中で感じたワクワク感とか、そういうものもひっくるめて確かなメモリアルなんだと思う。
そういう日々は過去だけど、どこからかまた新しい日々は始まり、続いていく。そうやってヒストリーは紡がれていくんだ、きっと。
そして、大森にとって青春とはフェーズ1なんだ、間違いなく。Utopiaでも言ってた通り。もう何年も前の日々で感触も褪せるけど、確かに心の中にある、大切なメモリアルなんだろうな。
大森にとって温かいモノ=あの時の日々であって、それをずっと歌っていくと宣言した。その言葉通り今でもあの日々を歌っているんだ。自然と歌われていると言った方が正確かもしれない。
フェーズ1に対して、「ウチらが忘れなければいいだけだからね」と語った大森が忘れられない。心の内に温かいモノを忘れず持ち続けているんだらうなぁ。
泣くだろ‼️こんなの
目的語が完全に欠落した一節。大森が一番胸がキュッとなるところ。
インタビュー的には、子供の頃窓から見えた何かなんだろうな〜と思う。
何が見えたんだよ〜。バンドとしてやっていく未来?大きなステージに立つ自分?それとももっと先の「壮大な景色」?
「あの日」とは活動休止したいと打ち明けた日のことではないかという考察を見た。そうだ、あれは車の中だった。
もしその日のことを歌っているなら泣いちゃう。だって後部座席から見えたものはどんな景色であろうが、絶対5人のミセスだもの。
という歌詞とも整合性取れる。序章=フェーズ1と捉えたらね。
車って実はすごくフェーズ1を象徴するものの1つ。AttitudeのMVとかPRESENTのMVとかね。だからこそ車には沢山の思い出が詰まっているんだろうな。
感触は褪せても、感情は忘れないでしょう?
そのときの光景を上手く思い出せなくなっても、感情は絶対に忘れることは無い。それって確かなメモリアルでしょう?
そうした、人との繋がりや忘れない記憶こそが、辛い時に心が帰れる場所、ファミーリエなんだと。そして彼にとってファミーリエは、うん。言うまでもないか。
目まぐるしい日々、ふと立ち止まりたくなる。立ち止まってしまう。そんな時にこの曲は居場所を与えてくれることだろう。
過去に囚われることは好ましいことではないかもしれない。今から目を背けていることに等しいから。
でも、他に縋るところがないのなら、時には過去に縋るのも正しいことだと思う。なぜならそこは故郷のような、家族のようなものだから、いつも温かく迎えてくれるはずだから。
そして、彼は気づいていないかもしれないが、ファンにとって、少なくとも自分にとっては、Mrs. GREEN APPLEはそういう存在になっている。
目まぐるしい日々でも、彼らの曲を聴けば故郷に帰ってきたような気持ちになる。いつからか心が帰るべき場所になっている。本当にいつからだろう、彼らの曲が新たな居場所になったのは。
2017年の曲だ。
なんだ、とっくに世界変えてんじゃん、Mrs. GREEN APPLE