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すべてが見えなくなって、見えるようになったもの

真冬一歩手前の11月後半のある日。私たちは装備不十分のまま、とあるキャンプ場に飛び込みのようなかたちで到着した。

時はすでに、14時を回っている。この時間であれば、泊まりで利用するのが一般的だけれど、その予定はない。もちろん泊まれるような装備もないので、日帰りでの利用だ。デイキャンプのチェックアウトは、16時……

「軽く焚き火がしたいんですよねえ……」

なんて会話を、キャンプ場の管理人さんと交わしていると、「じゃあ、夜まで居てもいいよ」と特別許可をいただいた。

管理人:「気をつけて帰るんだよ」

私:「ありがとうございます」

このときの「気をつけて帰るんだよ」〜「ありがとうございます」は、どこにでもよくある会話のキャッチボールだ。管理人さんに対する感謝の気持ちはあれど「気をつけて帰る」に関しては、そこまでフォーカスしていない自分がいた。

「気をつけて帰る」を大事にキャッチしておけば……と後悔するのは、もう少しあとの話。



広いキャンプ場内であたりを見渡しながら、川沿いを奥へ奥へと進む。キャンプ場に限らずだけど、こういうときの「どこに拠点を置くか」は、とにかく重要な要素だ。その日の満足度に直結するので妥協はできないし、しないほうがいいと思う。


結局、これ以上先へは徒歩でしか進めない場所まで車を走らせた。入り口からここまでの間にポツポツと張られていたテントは、どれもソロキャンパーのものだ。真冬一歩手前のド平日ということもあり、利用客はそれほど多くない。

この先は人の気配がまったくしないけれど、なんか良さそうな気がする。「なんか良さそうな気」がしているのであれば、行かないわけにはいかないだろう。私たちは車をその場に置いて、徒歩でさらに奥へと向かった。



ここが良い!


車を停めた場所から10分くらい歩いただろうか。「川沿いで焚き火をするなら、こんな感じの場所がいいいよね」というような、理想的な場所を見つけた。

四方を山に囲まれ、目の前を流れる川の水はとにかく綺麗で、周囲に人の気配はまったくない。チラッと道路が見えているのが減点ポイントではあるけれど、その辺はご愛嬌。なんてったって、もう、“いい時間”なんだしさ。

そうだ、時間のことをすっかり忘れていたけれど、“いい時間”なのは間違いない。

川をぐるっと囲む山々。紅葉によって木々が色づいている。
底に沈んだ石を丸裸にする透明度の高い川の水。


すぐに焚き火&夜ごはんの準備に取り掛かる。まずは、火を起こす場所にゴロゴロ転がっている岩を退けて、平地を作った。そして、周囲をフラフラ散歩しながら落ちている木の枝を拾って、細い枝、中太の枝、太い枝に分けて、火おこしの準備を整える。

こんなにちゃんとした焚き火って、このときが初めてだったと思うけれど、意外と滞りなくすんなりできた。たぶん、というか間違いなく、この頃によく見ていた『ヒロシのぼっちキャンプ』のおかげだと思う。(ヒロシ先生、ありがとう)


この日の夜ごはんは、コンビニで買ったウインナーと冷凍うどん。もう少し何か買ったかもしれないが、あとは覚えていない。こんな時間に入場するくらいだからね、バタバタしてて、コンビニくらいしか寄れなかったのよ。コンビニの冷凍うどん、銀色のアルミのやつ、コンロに置いて直接火にかけるやつ。あれです。


「美味い!」


ここでもやはり「外で作ったら何でも美味いの法則」に揺るぎはなかった。コンビニの冷凍うどんだろうが何だろうが、焚き火でつくったら、そりゃもう3割〜5割増しで美味いのよ。

とりあえず、網で焼いたらなんでも美味い。



そうこうしていると、周囲はいつの間にか「昼間」ではなく、「夕方」に姿を変えていることに気がついた。いや、とっくに「夕方」は始まっていて、気がついたときにはすでに「深い夕方」だったのだ。

このときようやく、大自然に浮かれてポンコツ化していた私の危機管理能力が正常に戻り、「ここで暗くなったら、ヤバくね?」が頭をよぎる。

それもそのはずで、周囲を照らすライト的なアイテムを一切持ってきていないのだ。

とりあえず私は一旦冷静になり、食べかけの冷凍うどんを綺麗に平らげることにした。(お前の危機管理能力どこいった)

隣で自然仲間のS君が、「マジかよこいつ、信じられない」といった感じで、せっせと片付けをはじめている。

日が暮れ始めた川の様子。このときはまだ、かろうじて光が届いている。


「ごちそうさま!」


私は無事にコンビニの冷凍うどんを綺麗に平らげた。ただ、「時すでに遅し」である。すっかり周囲は「夕方」というよりも「夜の始まり」のような姿を見せている。

そこから超特急で片付けを始めた私は、焚き火の後始末に取り掛かった。本来であれば灰になるまで燃やし切るのが基本だけれど、そんなことは言ってられない。バケツに川の水を汲んできて、緊急消火。

「シュー」


………………。


焚き火は無事に消えた。ただ、火が消えたあとの世界は嘘みたいに暗かった。もう、笑えるくらいに暗い。

「これはまずい……」

私の危機管理能力がレッドラインに到達し、サイレンを鳴らした。(いや遅いって!)

なんとか車まで戻ろう。唯一の命綱はスマホのライト機能だ。ただ、バッテリー残量が少ないため、むやみに使うわけにはいかない。これが途中で切れたら……

足元をスマホのライトで照らしながら、ゴロゴロした岩場をゆっくり進む。足元は見えるが、少し先は何も見えない。まさに「一寸先は闇」とはこの事だ。これまで自分が使っていた「暗い」とは比べ物にならないほどの「本物の暗い」がそこにはあった。

街の中の「暗い」はたかが知れている。道路に並ぶ電灯の灯り、車のヘッドライト、建物から漏れる灯り……ここにはそのすべてがない。さっきまで目の前にあったはずの綺麗な川も、流れる音だけを残して視界からパッタリと姿を消した。

すべてを飲み込むほどの漆黒を、頼りない小さな灯りで切り開きながら、私たちは車を目指す。


「ふう……」


途中、両手に抱える重い荷物を岩場の上に置いて、少しの休憩を取った。車まで半分くらいは進んだだろうか。少しばかり漆黒にも慣れてきた気がする。もう少し、もう少し。そんなとき、ふと空を見上げた。


!!!!!!!!!!!!!!!


見上げた先にあったのは、「嘘みたいに綺麗な満天の星空」だった。「嘘みたいに暗い世界」の上空には、もう一つの「嘘みたいな世界」が広がっていたのだ。

「うわあ、綺麗!」

こういうときの語彙を失った言葉を、私はとことん信頼している。

暗くて見えないが、私の声に反応したS君も空を見上げているようだった。




私たちはなんとか無事に車まで戻ることができた。

上空に広がる満天の星は、これだけ周囲が暗いからこそ、信じられないほど綺麗に見えたのだ。


真っ暗だからこそ、見える世界がある


これは、人生にも重なるかもしれないと思った。というか、重ねたいと思った。

人生が真っ暗(どん底)なときにしか見ることができない“何か”がきっとある。

「必ず見える」なんて偉そうには言えないけれど、「そうであってほしいな」と思っている。




「さあ、帰ろうか」

無事に帰還できた安堵感と、嘘みたいに美しい満天の星空を目にした感動が、静かに車内を包み込んでいる。

太陽が山の向こうに落ちていく。夜が始まる。

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岸部タクロウ
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