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なぜ記録するのか フィールドレコーディングの理由(草稿)

その音に魅力があり、それが聴くに値するものであるとして
”ただ聴いておればよいではないか”と問われたら、フィールドレコーダー(者)はどのように答えるのでしょう

なぜ録音するのか?

録音素材を二次使用する(創作、換金目的w)、要請されて記録として残すなど、何等かの明確な理由があれば別ですが、いわゆる趣味でフィールドレコーディングをする場合、録音行為の理由をどのように考えればよいのでしょう?

機材を携帯すること自体が、聴く側の意識変容をもたらす事がまず挙げられるでしょう。
例えばカメラを持てば、見慣れた風景が違って見える、いつもなら通り過ぎ、見過ごすはずのものに注意が向くようになる。
そのような視覚意識の変容が、機材によってもたらされることは経験から明らかです。
聴覚意識も、同様にレコーダーによって、変容/拡張されるきっかけを与えられるだろう事は想像に難くありません。
逆に言えば、きっかけ(機材)がない限り、視覚、聴覚は日常の意識の軛から中々離れられないともいえるでしょう。ある意味情けないことですが。
(これは資本主義社会に生きる人間としては大変好ましい態度と言えるかもしれません。(機材(=貨幣)を使用しないと、無料のデバイスである五感のみでは世界に対して新しい意識体験を持ちえない、のがほとんどの現代人のデフォルトでしょうから)

私見では以下の3つの観点から、ただ聴くのではない、録音する行為自体の意義があるように思います。

①は五感(聴覚)体験を覚醒させる補助線として

②はテクノロジーを利用して新たな聴覚体験を切り開くことについて

③は録音した音を聴き直す行為が持つ意味について 世界との関係を結び直す行為として


①ディープリスニング マインドフルネスとしての聴覚体験


②聞こえないものに耳を澄ますという事


③世界との親和性を回復するために



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