動物番組までもがオワコン化
先日、テレビがつまらない理由について、こんなツィートが流れてきた。
それに対して、私も反応した。
これについて、いろいろ考えたので、少し語ってみたい。
先に言っておくが、私はTV番組をほとんど観ない。朝と昼にニュースを15分程度。バラエティは夕食時に30分程度。スポーツの試合なら最後まで観ることもある。その僅かな時間ですら、不満に感じるのだから、「オワコン化した」と言ってしまってもいいかも知れない。
TV番組がつまらない
TV番組がつまらなくなったと言われているのは、ここ数年の話ではない。すでに十年以上前から言われている。
メディアに関わっていないので具体的な情報や数値は出せないが、1980年代には『8時だョ!全員集合』(TBS系列)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)のような、それまでTVでは見たこともないような斬新で奇抜なバラエティ番組が登場し、人気を博した。しかし、徐々に似た番組ばかりが作られ、新鮮さが薄れていく。
またニュース番組も、それまでは情報を淡々と紹介していただけだったのが、『ニュースステーション』(テレビ朝日系列。『報道ステーション』の前身)の登場により、大がかりな模型やコメンテイターの導入、派手な演出などにより、それまでニュースを見なかった人たちも注目するようになったものの、今や「ニュースバラエティ」と呼ばれるように、情報の正確さよりも思想や演出に重点が置かれてしまい、食傷気味と化してしまった。
そのような中でも、スポーツ、歌、動物の番組だけは大丈夫とされていた。
スポーツは何が起こるか分からない。バラエティ番組なら、たとえば俳優と芸人とが競技して、芸人が悪ふざけをしたり運動音痴な芸人が登場しても、真剣にやらないのは失礼だとまでは言われない。あるいは、芸人がわざと負けることもあるが、それらは演出の一環に過ぎない。しかし、リアルなスポーツでは、真剣に戦わないのは失礼にあたる。また、強いチームが弱いチームに負けることもあれば、初出場の選手が活躍することもある。先の展開の読めない楽しさがある。
歌番組も、かつては『ザ・ベストテン』(TBS系列)などが人気を博し、一時期は衰退したものの、近頃は持ち直している。ただし、カラオケバトルはバラエティに属し、なかでも酷いと思う構成があるのだが、それは後述する。
動物番組も、何が起こるか分からないという点ではスポーツに似ているのかも知れない。小動物であれば心が癒されるし、動物虐待などの社会問題はペットを飼う意義や責任を感じさせてくれる。
もちろん、BSなどの専門チャンネルでは多様なニーズに応えた番組が多く存在する。そちらはどんな分野でも大丈夫だろう。経済や金融を深く掘り下げたもの、諸外国の社会制度についてのもの、ひとつの競技だけに特化したもの、旅行や料理、などなど。
動物番組が危ない
さて、あくまでも私見ではあるが、これがあるから大丈夫だと思われていた動物番組が、どうも怪しい。
バラエティ化と、手抜きが進み過ぎている印象がある。
元ツィートの方の感想では、「ネットに上がっている動物動画」に「アテレコしてまとめた番組が増える」と、要点を鋭く突いている。
TV番組や新聞記者は、かつては「自分の足で探し回れ」と言われるほど、制作スタッフは一日中外を走り回り、情報がないか探し回っていたという。人気のある店に何度も足を運んでは取材を頼みこんだり、疑惑のある著名人に何日も尾行を続けたという話も読んだことがある。
ところが、ネット情報の氾濫により、いつでもどこでも世界中から情報を得られるようになった。自分の足で街中を歩き回っても得られる情報は少ない。それよりもPCやスマホを眺めていれば、日本だけでなく諸外国の情報すらどんどん入ってくる。
手抜きの発生である。
真摯な動物番組であれば、ドッグラン会場へ行ったり、有名人のペットを紹介したり、番組として視聴者からの提供をお願いしたりする。あるいは、動物園や、保護犬や保護猫の団体などに取材をし、調査し、問題提起などを行う。保護動物を世話する芸能人の密着番組もある。
一方で、たとえば『Youtube』や『TikTok』といった動画サイトに挙がっている動画を、そのまま紹介するような番組もある。こちらでは、番組が独自に視聴者から応募したものとは違い、「前に観たことがある」とか「別の番組でも観た」ようなものばかりが流れてくる。
そして、その動画をスタジオで芸能人が観ている様子がワイプで入るという構図もある。
ワイプというのは、画面の右上や左上などに別の画面がはめ込まれているもののこと。四角や丸で切り取られた箇所に、スタジオにいる芸能人の顔が映る。
うるさいワイプ
ワイプに関しては、面白い動画を見つけた。
「元テレビD さっきーch 〜テレビで言えないテレビの話〜」さんの『テレビ番組のワイプがうるさくなった理由をワイプを入れまくってた元テレビDが解説』という話だ。
簡単にまとめると、
・外国の情報を流す番組は当時は珍しかったので、映像だけでは日本の番組なのかが分からなくなる。観る番組を間違えてしまったのかと思われてしまう。
・ビートたけし、所ジョージの両名を起用しているのに、ワイプが無ければ出演していることに気付かれない。
などの理由から、お二方がスタジオにいますよというアピールのために使われたとのこと。
しかしである。
そのワイプは当時は重要だったかも知れないが、現在でも必要だろうか。
たとえば、BSなどの動物専用番組などでは、アフリカの草原の様子を流し続けるもの、動物病院の様子を流し続けるものなどがある。解説は入るが、ワイプは少ない。
地上波でも、警察の一日の様子を取材したような情報番組で出演者が存在しないというものもあるが、別スタジオを使ってまで芸能人を出演させる意味があるのか分からない番組もある。たとえば生産工場の様子を取材した番組で、芸能人が別スタジオにいるとする。工場では取材している人と工場の人とのやりとりが行われているのだが、スタジオにいる芸能人の顔も映し出され、それを見ている様子が映る。せっかく出演しているのだから、映さなければいけないと思っているのかも知れないが、正直、邪魔だ。
最初の方に、カラオケ番組で酷いものがあると述べたのが、まさにこれ。カラオケ部屋で歌手が歌い、機械が評価するものだが、別のスタジオにいる芸能人たちがワイプではしゃぐ。歌手との会話ではない。芸能人たちだけで勝手に盛り上がっているのだ。
先日、たまたまこの番組を観たとき、長い期間TV番組に顔を出さなかった歌手が出演していた。久々で懐かしいと思い、また声量や声質などはさすが巧いと感心していたのだが、その歌っている最中にもワイプが騒がしく、歌が聞き取りづらくなる場面まで出て来た。バラエティとして盛り上げたいのだろうが、歌手に対して、あまりにも失礼ではないだろうか。
ワイプが使われない場合でも、現在流れている映像に対して別スタジオの芸能人が驚きの声を上げたり、スタジオへ映像が戻ることもある。せっかく楽しんでいた場面が台無しに感じる時がある。
アテレコと演出の功罪
アテレコというのは、映像にセリフを合わせることを指す。
たとえば猫が人間の足元にすりより、見上げる。猫は何も言わないが、ここに「ねえ、遊ぼうよ」と人間が声を充てる。これで、猫の気持ちを表し、可愛さを表現する。
面白い技法である。
たとえば犬を頭を撫でたときに、尻尾を激しく振れば喜んでいて、尻尾を後ろ両足の間に潜り込ませているときは怯えている。しかし、そのことを知らない人には、犬の気持ちが分からない。ここで「嬉しいな」とか「怖いよ」と声を充てれば、分かりやすい。
しかし、過剰演出となると、問題もある。
「ねえねえ、さみしいよう、構ってよー」とか「おにいさん、かっこいいね。でも、ぼくもかっこいいでしょ」とか「今日はたくさん遊んで疲れちゃった。おやすみなさい。むにゃむにゃ」など、動物が主役でアテレコは補助にしか過ぎないはずのに、アテレコが人間的すぎて現実的ではなくなる。本当に猫や犬がそんなことを言うのだろうか。これではファンタジーだ。
過剰な演出という意味では擬音もこれに当たるだろう。
食べ物を口にくわえれば「ガプッ」、物をなめれば「ペロッ」、小刻みに走れば「パタパタパタ」、尻尾を振れば「ブンブン」と、明らかに作り物と分かる、大きすぎるうえに不自然な音が流れる。表現技法の一種として使っているつもりかも知れないが、これらも現実味を薄れさせてしまう。
何故このようなことが起こるかと言えば、想像ではあるが、より目立ちたいからだろう。
目立つというのは、他の似た番組に埋没しないような工夫だから、悪いことではない。しかし、成功して人気が出た演出が発生すると、ここぞとばかりに他も真似をする。自分たちも、同じように成功したいからだろう。
だが、所詮は真似で、結局はどこもかしこも、その成功した同じ演出を使うために、埋没してしまう。
これは出演者にも言える。漫才グランプリで優勝した芸人などは、人気があるから視聴率が上がる。すると、他の番組でも使いたがる。その芸人が好きな人にとっては、いろんな番組に出演しているから、番組の趣旨が異なっていても観ているだけでも嬉しいかも知れないが、そうではない一般視聴者からすれば、どこの時間のどのバラエティ番組を観ても、同じ芸人たちばかりが出てくる。
番組の趣旨が同じで、演出も同じで、出演者も同じ。少し異なる部分はあっても、普段あまり観ない立場からすれば、同じことしかしていない印象がある。
これは動物番組でも、ニュースバラエティでも、あるいは日本へ来た外国人を扱う番組でも、ネットに流れている動画を観る番組でも、変わりはない。
だからつまらない。
自ら加速させる「オワコン化」
では、TV番組を面白くするにはどうすればいいかと聞かれたら、答えは「無い」としか答えようがない。
何しろ、自らの手で「オワコン化」を進めているからだ。
これを漫画で考えてみよう。
ある漫画家が、デスゲームの漫画で人気を博したとしよう。ここに漫画家が5人いたとする。その5人は、自分も同じような人気作品を求めて、同じようなデスゲームの作品を書いたとする。
どうなるだろうか。聞くまでもない。まず、成功しない。
似たテーマの作品を作ろうとした場合、少なくとも、以前のものよりも面白くしなければならない。元作品の主人公がごく普通の高校生だったとして、同じように5人の漫画家たちも、ごく普通の高校生を扱っても、代わり映えがしない。あるいは、元作品に文字の順序を入れ替えて相手を騙すテクニックが使われていたとして、同じように5人の漫画家たちも同じテクニックを使ったら、やはり代わり映えがない。
どこかで違うことをしなければいけない。
当たり前だと思うのだが、昨今のTV番組はこの当たり前が分かっていないような気がする。
もちろん、新しい試みをする番組がないわけではない。むしろ、たくさんある。
ワイプも、アテレコも、擬音も、登場した当時は斬新だった。なんて面白い技法だとか、観ていて楽しくなる演出だと感じさせてくれた。
しかし一度その手法で成功する番組が現れると、他の番組も真似を始め、定型化し、斬新さが失せてしまう。
結果、「どこの番組を観ても、同じようなことばかりやって、同じような演出ばかりで、同じような人しか出て来ない」ということになってしまった。
好き勝手に結論
あくまでも一視聴者としての意見である。
メディア関連で働いている人からすれば、それは違う、あるいは一面に過ぎないという意見もあって当然だ。
一般企業でも、似たり寄ったりの製品が現れては消えるのも事実だが、特化した製品を作り出して対抗する挑戦心がある。これが無ければ、いずれ消えてしまう。
TV番組は、楽しい番組もあるが、つまらない番組がなかなか淘汰されないのも事実ではないだろうか。尤も、放送期間が予め設定されているので、よほどのことがない限り、予定通り続けなければならない事情もあるのだが。
実際、いろんな人に聞いてみたが、主にニュースバラエティに対する回答が多かった。
こんな偏向的な番組がなぜ続いているのだろうかとか、司会者やコメンテイターの問題発言が多すぎる。他には、動物番組ばかりでつまらないとか、人気があるとされている某芸人のどこが面白いのか分からない、などという意見があった。しばらく経てば、コメンテイターが交替したり、人気芸人とされていた人がいつの間にかTV番組から姿を消していることもある。古きを捨てて、新しいものへの循環が行われているのは分かる。ただ、それが反映されるまでの速度が遅すぎないだろうか、とも思う。
ただ、オワコンとはいえ、消え去るには惜しいメディアでもある。
今回はメディア論ではないので、詳しくは省く。
理想でいえば、夕食時に、一日の疲れを癒してくれるようなTV番組が最適解ではなかろうか。あるいは朝食時の前に気持ちを新たにしたり、昼食時に気分を落ち着けるような。
特にこれを観たいというのでもなく、ただTVを観てて笑うだけ。家族と談笑したり、一人暮らしでも楽しい映像に手を叩いて笑ってしまう。
1980年代のような斬新な企画が作れない、ドラマも小説や漫画を土台としたもの、バラエティも同じようなものばかりというのであれば、無理する必要などない。この人の歌を聞くだけで心が安らぐ歌番組とか、動物を観てるだけで癒されるというようなものでいい。
「わざわざ観たいと思って探すのではなく、知らず知らずのうちに、観ることが日課になっている」
それで良いのではなかろうか。
高級ステーキや高級珍味も、すぐに食べ飽きる。
寿司やピザも、旨いけど毎日は食べられない。
白米やパンは、これといった強烈な特徴はなくとも、毎日口にして、そのことを疑問にも感じない。
『Youtube』や『TikTok』などは、日常の中の非日常を扱うものも多いが、いずれ飽きられる。真似も多い。
ならば、白米やパンのように、日常で当たり前の存在になることが生き残る手段だと思うのだが、どうなのだろうか。
「何が何でも観たい」というのではなく、「何気に観てしまう」ものになって欲しい。
余計な演出など不要。
何よりも動物は、観てるだけで癒されるものだから。
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