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恋におちる瞬間 「ビフォア・サンライズ」(1995)と「君の名前で僕を呼んで」(2018)

かわいい後輩とたまたまオフィスのランチ席で隣り合わせたとき、ふと会話が始まった。私は1週間ほど、娘の胃腸炎を移されて食欲が減退しており、少しでも好きなものを食べようと、恵比寿駅前のアンティコカフェでランチにバナナブレッドとバッラ(小さなチーズケーキ)を買っていた。薄紙を開いてバッラをひと口頬張ったところでその後輩と目が合うと、彼がにっこりした。

仕事の話をしばらくしてから、好きなマンガの話になり、Netflixの話になり、そこで勧められた映画やアニメを素直に見て感想を述べていると、「僕の大好きな映画をぜひ観てください!」と勧められたのが「君の名前で僕を呼んで」だった。映画館で3回観たという。眠れない夜にAmazon primeで観た。冒頭から素晴らしかった。

この映画は私が流産した年の春に日本で公開されていた。思えば2018年から2019年頃に公開されたさまざまな表現に、私は触れる機会が少なかったのかもしれない。部署異動に加えて妊娠流産、妊娠出産で慌ただしい2年間だった。
その2年と、その後のコロナ騒動での3年ほどは、なんだか時間の感覚がこれまでと違い、メリハリというものがあまりなかった。季節を感じたり、区切りを感じる機会が少なかった。それは感受性を鈍らせることだったのだろうか?わからない。

鮮烈な1984年の恋を描いた本作。恋が始まるその瞬間を描くこと、それだけに自分を賭けている表現者が少なからずいると思うが、この映画もそうで、製作国での配給は2017年だが、30年以上前の日常の上でそれを描こうとした理由の一つに、インターネットの不在があると感じながら観た。募る思いを描くのに、スマホは邪魔なのだ。

ティモシー・シャラメの美しさにカメラマンが惚れ込んで撮っているのがよくわかるのだが、一方で相手役のアーミー・ハマーも実は影の主役なのだと思わせる深い演技をしていることが最後の最後でわかった。何を見ても相手を思い出す、彼の心の動き、身を切られるような思い、それがじわりじわりと感染してくる。

私が勧めたのは、「ビフォア・サンライズ」(1995)。リチャード・リンクレイター監督の実話をもとにした作品で、偶然出会ったカップルが、冒頭から最後までとにかく喋り倒している。喋り倒すからわかりあえるわけでは、もちろんない。でも、いまここにある時間が二度と来ないことがわかる、だから言葉を尽くす、そういう、「出会った」人と人が求め合う様子が、言葉、配役、ロケーションの奇跡のような化学反応によって、唯一無二の作品に仕上がっている。好き嫌いの分かれる作品だが、「二度と訪れない恋」というテーマが同じかな、と少し思った。

恋とはなんだろう。なぜ人は恋をするのだろう。このことが知りたくて、学生時代は九鬼修造を読んでいた。卒業したら、九鬼の研究者である宮野真生子さんの「なぜ、私たちは恋をして生きるのか」を読んでいた。宮野さんが亡くなってしまい、40歳に近づいた今も、私にはその正体がわからない。「短期的に激しく燃え上がり、相手を強く求める感情」と平野啓一郎氏は言ったが、いくら文芸書を読んだところで、本当の答えは自分しか持っていないと今は知っている。知っているが、わからない。


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