どのようにしてCTOになったのか
という話を聞かれることはほぼないのですが、いい機会なので書いてみようと思います。
高見沢アーリーデイズ
私、高見沢は96年に東京理科大学という学校を卒業してから神田にほど近い竹橋にあったシンボリックテクノロジーという会社に勤めました。金融系のSIerで野村総研、東京三菱銀行や商工中金やJCB(TIS)で仕事をさせてもらいました。主にプログラマーでC言語やVisualBasicをやってました。98年からはオリコカードの子会社システムオリコで6年以上生保のエンジニアやインフラ系の仕事や諸々オリコ子会社や本体のエンジニアをやってきました。
2005年からサイバーエージェントでAmebaBlogの初期に関わることになり、そこでもエンジニアとして仕事してましたがコードを書く仕事からは少し遠ざかりました。金融系のエンジニア時代にコードを書くという仕事にほぼいい思い出がなかったからです。2006年からはサイバーエージェントの子会社ウエディングパークに出向、システム部門のリーダー的役割を担います。このときもそれほどコードは書いてきませんでした。
一昔前のSIerでは謎のヒエラルキーがあり、プログラマーは一番底辺でシステムエンジニアはその上に位置するものなのでプログラマーへの指示や設計が主な業務というか役割になります。出世・給与UPしたければ早くシステムエンジニアになり、プロジェクトマネージャーに上がりなさいと言われてきました。
エンジニアのキャリアイメージがひっくり返った!?
ITベンチャーに来るとこの構造は完全にひっくり返ります。どの現場でもモノづくりが出来る人が最も重宝されて決して階層構造の底辺にされてしまうことはありません。設計するだけのエンジニアもほぼいません。いるとしたらアーキテクトのような技術顧問かマネージャーくらいです。これらの人ももともとコードが書けるのでアドバイス以上に開発現場に介入しないのが普通です。
自分は頭が固かったのかこのようなITベンチャーの流儀がなかなか飲み込めませんでした。苦手なことから逃げても結局自分にブーメランのように戻ってきます。プログラミングは金融エンジニア時代には少しトラウマでした。とにかくいろんな制約が多く、給料も低い。当時先輩から言われたことで覚えているのは
デバッガーは使ってはいけない(コードから挙動を想像できるようにすべきだから)
便利ツールも使ってはいけない(emacsとかIDEとかDBツールとか。プログラミング能力が落ちる&客先で使えるとは限らないから)
社会人最初の1ヶ月半のプログラミング研修でUnix環境でエディターをC言語で作るというものをやりましたが、使っていい書籍はC言語のバイブルと言われるカーニハン&リッチーが書いたまるで学術書のような教科書だけでした。これがどれだけやばいかこの記事を読んでいただければわかると思います。
もちろん当時もインターネットはあったけど(96年)今ほど情報のフラット化はされておらず文献に出来るような情報はネット上に存在しませんでした。
余談ですが、当時の仕事の先輩で「俺1日3000ステップ(プログラムの行)は書けるぜ♪」なんて謎の自慢でマウンティングしてくる人もいました。この話も大人になってみると(笑)すぐに嘘だと分かります。絶対できるはずがありません。
こういった制約が現代の開発現場の仕事においてナンセンスなのは言うまでもありません。ただの精神論でしかなく、SIerからITスタートアップにエンジニアが逃げてくるのも当たり前だと思います。
もともと中学生時代に到来したパソコンブームでプログラムを書くという楽しみは知ってたので、大学のゼミもコンピューターが扱えるものを選んでいたし、社会人になるときにもプログラマーを選択しました。
それがプロ(のエンジニア)になるということがこんなに苦行だったのかと打ちひしがれてしまったから悩んでいたのだと思います。自信もありませんでした。
ウエディングパーク時代もそれほど最初はコードを書いてきませんでしたが、ディレクションで成果を上げてきたり、ちょっとしたツールを開発したりして仲間の役に立ったことが原体験となってあらためてモノをつくるということが楽しいと感じることが出来ました。こんな面倒くさい自分のために関わってくれた当時の仲間には感謝しかありません。
人生の転換点・SXSW2012
一方で「会社」という枠にはめられたくない性格もあって、社外の人と交流することは多かったのですが、2012年にSXSWというイベントに参加して多くの起業家の方と交流するようになってからは自らも起業を意識するようになりました。
↑この記事の終わりの方に高見沢が出ています。今や大手となったSmartNewsのCEO浜本階生さんも一緒だったという奇跡。
日本に帰ってきてから、いくつかの会社でこっそり副業するようになりました。特に探していたわけではなかったけどSXSWに参加したことがWIREDなどのメディアに掲載されたこととか地味に自分のプレゼンスを上げるきっかけになったのかもしれません。(副業の)お誘いが増えるようになったのです。が、いつかは自分が代表だったらどうやるかというのを頭の片隅に考えながら、すべてのお誘いを受けてきました。
2015年にそろそろ独立しようかどうか悩んでいた頃にフレンバシーと出会いました。そもそも起業というのは一人では出来ません。仲間は必要でコミットするメンバーの質と数で成功確率は大きく変わります。ましてやベンチャーキャピタルから資金調達しようとしたときにチームにエンジニアがいないといった瞬間に見送りになってしまうという確率が上がってしまいます。
小さなスタートアップでBIGなCTOになる!
私がジョインした頃のフレンバシーには社長の播一人しかいませんでした。あとから入った人はみんな様子見で固定メンバーはいない模様。そこで考えたのが、自分が代表で会社を立ち上げる代わりにこの会社でCTOとしてナンバー2になれば実質起業している状況と変わらないということです。私がエンジニアでモノづくりが出来るので、システム担当ということでそのように提案したところ播に承諾してもらうことが出来ました。自分にもGOODで会社にもGOODな座組が出来ました!(笑)
もし読者の方で上昇志向を持っていて、どんな些細なチャンスでもモノにする心意気を持ったエンジニアがいるのでしたら、このやり方はオススメです。小さな組織にCTOとしてジョインすることです。仮にまだ立ち上げたばかりのプロジェクトに何人かエンジニアがいるなら、貪欲に仕事をこなして自らが最もプロジェクトにコミットしているという実感が得られるほどに頑張ればCTOになれると思います。
ちなみにその後、少額ではありましたが会社の株を買わせてもらい、コミットを上げる意味でも現場で手を動かす株主にもなりました。これは会社にもよるかもですが0→1の段階では有用な方法ではないかと思っています。
その後の私といえばVegewelを開発したり、GoodGoodMartを立ち上げ(一部自ら開発)、投資家探しに関わったり、社外で開発の仕事をして外貨を稼いだりなど出来ることはすべて会社のためにやってきており、後付ではありますがCTOを名乗るだけの業績は果たしてきたとは自負しています。
そんなこんなでCTOとして振り返れば6年半のキャリアとなりました。この仕事でもっと上に行きたい欲は衰えません。会社と自分の成長を感じながら仕事をこの先も楽しんでいければと思っています。
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