私と本と魔法使い
当たり前の日常。それは意識するまでもない平凡な毎日を指している。
そして今日も当たり前のことが当たり前に過ぎて行く……はずだった。
部活終わりで疲れ切った身体をベッドに預け、身体だけでなく心の緊張も解いた。
ベッドの脇にある本棚から『それ』を取り出し、適当にページを開いてみた。どのページを見てもカラフルな絵が描かれていて、申し訳程度に文章が載っている。しかも文字のほとんどはひらがな。たまに出てくる漢字にはふり仮名が振ってある。
それも当たり前の話。だって、今私が手にしているのは児童向けの絵本なのだから。
自分が対象読者から大きく外れていることは理解できているけれど、やっぱり好きなものは好きなのだ。
私が手にしていた絵本は『人魚姫』。愛に生き、愛に死んだ少女の物語。彼女の恋は純粋なものだったはずなのに、どうしてか実ることはなかった。そこまでの話なら「ふぅん、可哀想。でも次にきっと良い人が現れるよ」で済んだのだけど、人魚姫に次の恋はない。失恋してそのまま死んでしまうのだから。
私はベッドに横たわった状態で目をつぶり、誰にともなく呟いた。
「本当に王子様を助けたのは人魚姫なのに、どうして幸せな結婚をするのは隣の国の姫様なの? そんなの……おかしいよ」
誰にともなく……そう、私は返事など期待していなかった。当たり前だ、私は今部屋に一人なのだから。
しかし――
「では、ストーリーを変えてみますか?」
静かな部屋に響いたのは、私のものではない声。
慌てて体を起こし見回してみても、部屋の中におかしな所はみられない。
「姫香、貴女は人魚姫に幸せになってもらいたいんでしょう?」
また聞こえた。そのうえ今度は、私の名前をはっきりと言った。
幻聴じゃない。
「誰? 一体誰なの!」
「僕は……ま、魔法使いです……多分。きっと、貴女を絵本の世界へと案内する魔法使い……だと思います」
「ま、魔法使いぃ?」
そんなバカな。しかも『多分』とか『きっと』とかすごく曖昧だ。
怪しさを含んだ……というよりも怪しさの塊みたいな単語を謎の声は発したのだから、私が素っ頓狂な声を上げてしまうのも至極当然だった。
「その通り。僕が貴女の願いを叶えてあげましょう。――人魚姫の世界に行って、姫香の思う通りにストーリーを変えて下さい」
「えぇ! ちょ……ま、待って!」
慌てて止めようとするが、何の意味もなさなかった。
目のくらむような光に包まれたかと思うと、意識が闇へと沈んでいった。
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