月宮明理
「見てれば分かるっての。あいつが姿を消してから元気なかったしな……。なぁヒメカ、俺じゃダメか? ヒメカのこと絶対大切にするからさ」 「ルカ王子……」 不覚にも、ときめいてしまった。でも―― 「ダメだよ」 「……そうか」 ルカ王子は私の上から退き、座ったままがっくりと肩を落とした。 起き上がり、遠慮しつつも王子の隣に座りなおす。 「違うの。そういう意味じゃなくて……私じゃダメってこと。ルカ王子に愛されるべきは、私じゃないから……。ルカ王子は自分を助けた人と一緒にい
シグルドが私の前から姿を消して数週間。探してもその行方を掴めずにいた。まぁ、掴まれても困るのだけど。 ――今、彼は国王殺害の容疑者として指名手配されているのだから。 私はというと、ルカ王子の国のお城にいた。 「ヒメカ、いよいよ明日だな!」 「……うん」 明日、私とルカ王子の結婚式が催される。お父様が亡くなっても破談になることはなく、予定通り結婚することとなったのだ。 「なーんだよ、嬉しくねぇのかよ」 「……嬉しいよ」 ルカ王子を前にして、嬉しくないだなん
「冗談……ですよね?」 「そんな風に見える?」 「……いいえ。しかしそれなら、どうしてルカ王子との結婚を決めたりしたんですか?」 『だって貴方といたかったから』 口に出して言えたら……と今の自分の状況を恨めしく思う。 この世界に残るためにはルカ王子と結婚するしかないのだ。けれどそれを説明するということは、同時に、私がこの世界の『ヒメカ』ではないということを告白しなければならないのだ。 この前、フローラさんは言っていた。 『シグルドが本当はヒメカを……』 そして
「良いですよ、僕は。……ですが残念ですね、昔から見てきた貴女がこんなふしだらな女性になってしまうなんて」 「シグルド、違う! 私はそんなつもりでここに来たわけじゃないの!」 なんとか誤解を解きたくて必死に叫ぶが、シグルドは相も変わらず笑っているだけだった。 「夜に一人で男のもとへ来ておきながら、何を今さら」 「私はそんなこと考えてたわけじゃない……」 あぁ、なんでこんなことになってしまったんだろう。 思えば、私はシグルドとキスしたのだ。私の、大好きな、シグルドと。
もうすでに日付が変わっていた。いつもなら、すでに寝ているであろう時間だ。 私は申し訳ないと思いながらも、シグルドの部屋のドアをノックした。木の音が完全にかき消えてから、数秒の間があって、 「どなたですか?」 部屋の中から声がした。 「私、ヒメカ」 もう一度間があって、そしてキィッと小さな音とともにドアが開く。 「どうしたんですか? こんな夜更けに」 扉の向こうに立っていたシグルドはいつもの騎士服のままだった。眠っていたところを起こしたわけじゃないようなの
ルカ王子に抱きしめられてひとしきり泣いた私は、ルカ王子を見送った後、厨房へと向かった。 泣いたせいで、喉がからからだったのだ。 幸か不幸か、厨房にはもう誰もいなかった。すでに、部屋に引き揚げてしまっているのだろう。 磨いてあったグラスを手に、金の蛇口をひねる。 水がのどを通るたびに、体と脳の熱を冷ましてくれた。 「あ、ヒメカ様」 一人の兵士が厨房へと入ってきた。その兵士は二日前に、私の部屋にシグルドを呼びに来た兵士だった。 「こ、このたびは……その」 「そん
シグルドに思われているどこかの馬鹿について考えていると、時間は驚くほど早く過ぎていった。 数十分したのち、シグルドが部屋に戻ってきた。その表情はかなり暗くひきつっている。 「どうしたの? 何かあったの?」 「落ち着いて、聞いてくださいね」 シグルドは平坦な口調でそう言った。 「国王様が、何者かの手によって――暗殺されました」 何を言っているのか全く理解できなかった。 暗殺……? 「ど……ゆうこと……?」 感情が、理解することを拒んでいた。 違う。本当
眠りに着くと、初めてこの世界に来た日の夜と同じことが起こった。 〈姫香、姫香……〉 相変わらず、頭に直接響いてくる声だった。 〈魔法使いさん?〉 〈はい、そうですよ〉 〈……あ、そうだ。ドレスの件はありがとうございました。おかげで一人で着替えをすることができて助かってます〉 〈いいえ、お役に立てて何よりです〉 と穏やかに言った魔法使いさん。 そしてなぜか、互いに黙り込んでしまった。もしかして、もう魔法使いさんとつながっていないのかな? そう思い、軽く呼んでみる
「こちらです」 そう言ってシグルドが立ち止ったのは、廊下の端っこ――角部屋の前だった。 コンッコンッコンッと軽くノックをして、そのまま返事を待たずに扉をあける王子様。 「マリン、待たせたな」 部屋を覗くと、マリンちゃんは窓際にある木の椅子に腰かけていた。 私たちが来たことに気付き、愛くるしい笑顔でこちらに駆け寄ってくる。 「マリン!」 王子様はあわてて部屋に駆け込み、次の瞬間には王子様が倒れ込むマリンちゃんを抱きかかえていた。 「無理をするな」 私の
「なっ……!」 艶のある言い方と言葉にうろたえて、顔に熱が集中した。しかし、まったくそんないかがわしい覚えはない。 私は王子様の顔を見ようと横を向く。すると、思っていたよりもずっと近くに王子様のきれいな顔があって、透明感のある瞳をいたずらに細めていた。その顔は記憶の中の誰かとダブる。 そしてすぐに、思い当たる人物を記憶の引き出しから発見した。結構最近の出来事だったから、探し当てるのは非常に容易だった。 ――安らぎ草をくれた怪しい兵士。 あの時は夜だったこともあ
「ヒメカ様のようになりたかったからです」 「えっ?」 想像していなかった展開に、驚きの声が漏れる。 「僕は先日、船から落ちて海へ投げ出されまして――」 話し出しを聞いてすぐにピンときた。人魚姫が王子様を助ける話だろう。 「とても苦しい思いをしました。……足掻いても、足掻いても、水が僕の呼吸を妨げました。息をしようとすると、海水が我先にと口の中へ流れ込み、全然楽になりませんでした。手で体を支えようとしても沈み込むばかりで、全然思い通りに動けなかったんです。そんな状態
そこに立っていたのは王子様だけではなかった。いや、この表現は適切じゃなくて、立っていたの王子様だけだったけれど、横抱きに人を抱えていたのだ。 「それはどういう事だ?」 お父様も気になったらしく、王子様に尋ねる。 「あぁ、すみません」 王子様は言いながら、抱きかかえていた人をゆっくりと床に下ろす。 その人は、人形のように可愛い女の子だった。 柔らかくウェーブのかかった栗色の髪の毛、エメラルドをはめ込んだような輝く瞳、それを縁取る長いまつげ。桜色の頬が幼さを演出
三日後。 足の怪我はだいぶ良くなっていた。腫れは引き、普通にしていれば痛みも感じない。 しかし、体の調子に反して気分は重い。 食べ物もおいしいし、ベッドもふかふかでよく眠れる。服も素敵で、嫌なことなんてない。……ただ一つ、明日が隣国の王子様との対面ということ以外には。 「だから、何度も言ってるじゃないですか! 嫌なんです」 ルカ王子との婚約を正式に結ぶのを明日に控えた私は、再び王の間に呼び出されていた。 今回は王様だけでなく、お妃様……フローラさんもいる。
お城の医務室で怪我の手当てを受けた後、自室に戻りドレスに着替えた。 魔法使いさんにお願いしたおかげで、部屋のドレスはすべてファスナーで着脱できるように変わっている。おかげで、今は一人で着替えを済ませることができるのだ。 「おまたせ。はい、これ」 ドアの外で待っていたシグルドに、汚れた騎士服を手渡した。シグルドがバレないようにこっそり返しておいてくれるそうだ。 「本当に……何から何までごめんね」 「いいえ、これくらい構いませんよ。それよりも、二度と勝手にいなくなった
薬品の匂いが充満した部屋には誰もいなかった。 「お医者さんは……?」 「あぁ、そう言えばヒメカ様は知らないのですね」 彼は棚から薬品や包帯などを取り出している。待っていればお医者さんが来てくれるだろうに……。 「ここは第三医務室ですから、医者はいないんです。第一と第二には医者が常駐していますが、ここには治療道具がおいてあるだけです。治療は自分の手で行います」 だからシグルドは道具を出しているのか。 忙しく動き回る彼を目で追いつつ、なにか居心地の悪さを感じた。
日が高くなるころにはお城が見えてきた。行きは半日かかったというのに……。馬だと、悔しいくらい早い。 シグルドは慣れた手つきで手綱を操り、馬を動かしてゆく。 「ヒメカ様、ここからは少し走らせますからしっかりつかまっていて下さい」 「え? どうして?」 「ヒメカ様が城の外に出ていたとバレればおおごとになります。すばやく城の中に戻るためには、あまりモタモタもしていられません」 徐々に揺れが大きくなり、振り落とされそうになる。私は必死でシグルドにしがみついた。 馬は正門の