ひっそりこっそりヒメカの旅路
翌日の昼過ぎ、誰にも内緒で、私は城を抜け出した。
婚約から逃げるとか、すべてが嫌になったとかじゃない。ちゃんと目的がある。
――安らぎ草を手に入れること。
安らぎ草さえ手に入れてしまえば、もう結婚をする必要は全くない。これならフローラさんの病気を治せるし、人魚姫を救うこともできる。これが私の考え付く、ベストな方法だった。
そのために、私はたくさんの洗濯物が集まる部屋に忍び込んで、外に出ても目立たない格好に着替えたのだ。いくらなんでも、城で着ているドレスでは目立ちすぎる。
今の私は、シグルドの着ていた騎士服と同じデザインのふたまわり小さいものを身にまとい、髪の毛は初めて会った時のシグルドと同じように高い位置で一つに結んでいた。国の紋章の入っている肩当てははずしてきたから、一目で城のものだとはばれないだろう。
この男装をするにあたって、私は胸にさらしを巻いた。今は服の上から触るぶんには違和感がないほど真っ平らだ。壁だ。まな板だ。ペッタンコだ。
……だいぶ物悲しいが、状況を考えれば、運が良かったとも言える。無い胸が役に立つ日が来るなんて、考えたこともなかった。
「それにしても……」
私は街の人たちを順々に目で追った。
街に出ると、意外にも、ドレスと着ている人が目立つ。もちろん私がお城で着ていたものほど派手ではなく、何度も着ているのが分かるほどにくたびれてはいる。
そんな人混みをかいくぐりながら私は街の外に出た。一気に人気が失せた。
目的地は、もちろん隣の国。というか、隣の国のお城。
今朝、メイド達を束ねるメイド長に聞いた話によると、安らぎ草は城の敷地内で育成しているらしい。
城の中に忍び込んで盗み出すのはそうそう簡単なことではないと思うが、敷地内ならなんとかなるかもしれない。
これは私がドレスで来なかった理由の一つでもある。木に登ったり、壁のわずかな隙間に隠れたりする時にドレスなんかを着ていては、成功するものも失敗してしまう。
私は城の書庫から拝借した地図を握りしめて、茂る野原へと足を踏み出した。
城が見えてきたときには、すでに辺りはすっかり暗くなっていた。
「はぁ……やっと、着いた」
決して険しい道のりだったわけじゃない。ただ単に遠すぎたのだ。馬にでも乗れたならこんなに苦労はしなかっただろう。この世界の常識では馬に乗るか、馬車に乗るかで移動しているようだったし。……元の世界に戻れたら乗馬の練習でもしようかな。
門の前では兵士の方々が目を光らせていて、とてもそこから入るわけにはいかない。と、なると……。
私は城壁に沿って裏へとまわる。しかし、そこにも兵士の方々。やっぱり入ることなんかできない。
困っていた時に目に入ってきたのは、城壁に寄り添うように立っている大きな木。もしかしたら、と小さな希望を胸に、私は木をよじ登り始めた。
――ホント、ドレスで来なくて良かった。
服が木に擦れるが、全く傷まない。騎士は外敵と戦う可能性があるのだから、それなりに丈夫な服でないとだめ、ということなのかな。
城壁とほぼ同じ高さまで登ったところで、私は細くなっている枝に少しずつ体重をかけていく。ミシッと軋む音をさせながら先端に向かって歩み、そして――
シュタッ。軽く小さい音をさせて、城壁に無事着地(着壁?)した。
あぁ、こんなに集中したのはいつ振りだろう。
そう思った瞬間、緊張が緩んでバランスを崩した。
「きゃあ……」
落ちそうになりながらも、大声を出してはいけないと自制した。
けれど、結局体勢を立て直すことは出来ず、地面に強かに身体を打ち付けた。
「うっ……!」
息が、止まる、と思った。
本能的に頭をかばったおかげで、気絶するという最悪の事態にはならなかったけれど、とんでもなく身体が痛い。
壁を支えになんとか立ち上がるが、左足に全然力が入らない。とういうか、感覚がない。
不幸中の幸いなのだろうか、私は城の方に落ちたことで、侵入することに関しての問題は解決した。
と、思ったのも束の間、
「そこで何をしているっ!」
大きな声が聞こえて、私はビクリと身体を震わせ声のした方を向いた。
そこにいたのは、この城の兵士であろう男。シグルドとどっちが高いか比べさせたくらいの背丈だ。月に照らされた金髪がキラキラと輝いていて、幻想的な美しさだった。
その男は、私のもとへ駆けてきて、剣を抜く。
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