遺されていたEADGBE
私は現在、フルリモートで働く会社員である。我が社は以前から災害などの“有事”に備え、一部の出社が必須な人たちを除いて、全員が自宅で働く「練習日」をときおり設けていた。その甲斐もあって、新型コロナウイルス感染症が流行り始めた2020年4月、一気に全社フルリモート体制に移行した。
当初は「家で仕事するのなんてやだよー」なんて意見も結構あった。むしろ私の部署ではそっちが主流であったかもしれない。私も週末を含め会社のノートパソコンを家に持って変えるのが嫌だった。いつも金曜日にはデスクの袖机にパソコンを放り込んで帰宅し、幸せな週末を迎えていた。ほんとに、家で仕事するのなんてやだよー、であった。
ところが今は、みんな「リモートワークバンザイ!」という雰囲気である。私もそうだ。通勤の手間がないのがよいし、自宅だと時間を有効に使うことができる。生活のなかに仕事を溶け込ませるのには最初抵抗があったけれど、それができてしまえば非常に効率的で、平日に仕事を含めていろいろなことができてしまう。
とは言え、効率的でいろいろなことができてしまうことが全くもってしてすばらしいことかと言うと、そうでもない気がしている。片道40分電車にゆられ、ぼーっと外を眺めたりヘッドフォンで音楽を聴いたりする時間。お昼は何にしようかと考えたり街をうろつく時間。オフィスで会った久しぶりの人と雑談する時間。無駄だった時間を愛おしく感じるし、それが自分のなかで何かを培養していたのではないかとも思える。あるいは、その“無駄な時間”が、インプットされ続けることを余儀なくされる現代日本人のオアシスだったのではないか、と考えたりもする。
我が社は今、別にオフィス出社してもよいのである。決まりとしては、日本全国どこで働いてもよい。だけどやっぱり、家から出るのは面倒くさい。そんな私が考え出した方法がある。それは、家の中で適宜働く部屋を変える、だ。私はいわゆる、田舎の木造平家建て一軒家に暮らしている。古く、たくさんの部屋がある家だ。無駄に広い。
リモートワークが始まった当初は自室で働いていた。しかしすぐに、普段自分がくつろぐ部屋で仕事をするのはよくないと思った。自室でプライベートな時間をすごす感じで仕事も… という人も多いようだが、そこはオンオフを切り替えたい私であった。そのため、デスクやチェアなどを買い、自室横の廊下みたいなところに仕事場をこしらえた。オフィスにあるようなちゃんとしたチェアに座って、デスクに向かって仕事をすると快適だった。何しろそれまではコタツにパソコンを置いて座椅子に座って仕事をしていたから。私はしばらくその廊下の仕事場で仕事をしていた。
その部屋で働くことにも次第に飽きてきた。擬似オフィス気分で仕事をしているが、しょせんくつろぐ自室のすぐ横の廊下である。私は自分の部屋から最も離れた部屋を仕事場とすることを考えた。我が家では古くから「座敷」と呼ばれている部屋である。畳8畳の和室であり、床の間もある。よくわからん家紋や掛け軸も飾ってあり、仏壇もある。亡くなった祖父母や父の写真も飾ってある。座敷には縁側も付属しており、部屋の片面は一面の窓となっている。遠く山々が見え、雨の降る日は、山から空へ沸き立つ水蒸気も見える。亡くなった祖父母や父が、仕事をする私を見舞ってくれているような気分になる。本部長とお話ししたり、海外企業とのミーティングに挑んだり、人並みになったでしょう?
そういえば今年の5月に、父の七回忌を執り行った。七回忌は7年目ということだから、父が亡くなって6年半くらい経ったということだ。亡くなったあと父の部屋には、ずぼらな母と私によって次第に不要なモノが置かれるようになり、まるで物置のようになった。その部屋を最近整理している。整理していくにつれ、父の部屋は昔の姿を取り戻していった。本当に格好良い部屋だった。僕は新たに、この部屋で働くことにした。
まず、最初にこしらえた仕事部屋にあるデスクとチェアを、父の部屋の机椅子と入れ替えた。部屋はまだごちゃごちゃとしていたが、とりあえず問題なく仕事ができる環境になった。やわらかく弱いオレンジ色の照明、父は写真をやっていたのでそういう照明がよかったのだろうか、大きな裸電球のような照明である。
仕事のミーティングではZoomを使う。僕はこれまでZoomにバーチャル背景を設定していたのだけど、父の部屋で働き始めてからはありのままの背景を映した。僕の背後にたたずむステレオ、レコード、ウッドベース、カメラ。評判は上々だった。ある人は「え? あ、それ本物の背景なんですね。バーチャルかと思った。かっこいい」と言ってくれた。
リモートワークのよいところは仕事をしながら家のこともできること。僕は毎日仕事をしながら、物置状態だった父の部屋を少しずつ整理していった。そしてついに、少なくとも部屋の床には、余計なモノが置かれていない状態になった。そして、壁際に置かれたギターを手に取ることができるようになった。YAMAHAのフォークギター、Fenderのフォークギター、メーカーのよくわからないクラシックギター。
YAMAHAのギターは僕が中学生のときに借りてボロボロにしたやつだ。僕は20年くらい前に東京からこの家に帰ってきたが、そのころ父はよく名もなきクラシックギターを弾いていた。Fenderのギターは僕が帰ってきてから父が購入したもので、Fenderのフォークギターなんてあるんだ、と思ったことを覚えている。父は晩年、このギターを毎日弾いていた。僕はそのFenderを手に取った。ヘッドの弦の部分には、おにぎり型のピックが挟み込んである。ピックはそのままにして、僕はGのコードを押さえ、指で弾いてみた。
そこに、チューニングは残っていた。狂っているが、明らかなソの和音が部屋に響いた。物置のようなってしまっていたこの部屋、だからこのギターが人の手に触れられたのは、約6年半ぶりになるだろう。6年半前、僕の前にこのギターを弾いたのは父。彼が最後にチューニングをしたのは、2016年5月の、いったい何日だったのだろうか。間違いなくここに遺されていたけれど。
このことによって、僕は特段に悲しくなってしまったり、感傷にふけってしまったわけではない。でも、人が遺すものについて考えてしまった。人生で何事かを遺す人、子孫を遺す人、ポジティブなもの、ネガティブなもの、大きなもの、ささいなもの。人はいろいろなものをこの世界に遺すと思う。そしてそれらは偉業であれ、平凡であれ、人には残そうとする意思がある。そのことばかりに、これまでの僕の目は行っていた。
このギターの狂ったチューニングを、僕はこのままにしておくべきだろうか。きっぱりと、正確なチューニングにするべきだろうか。ヘッドの弦の部分に挟まれたピックを、僕は使ってみるべきだろうか。挟まれたままにしておくべきだろうか。そんなことはどうでもいい、どうしたって大丈夫。そんなふうに思えるほど、僕は強くなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?