題名のない未来
もし次にまた住む街を変えるのなら、西新か、門司港か。そんなことを考えながら彼はクルマを走らせていた。クルマにはルアー釣りの竿と道具が積んであり、門司港のノーフォーク広場に向かっている。
もしまた誰かと一緒に住むのなら、五年前、わたしが選ばなかったあのおじさんがいい。そんなことを考えながら、母親はクルマを走らせていた。助手席に、この夏で四歳になった息子を乗せて。
彼はノーフォーク広場に着くと、駐車場にクルマを止め、釣り道具の入ったリュックサックを背負い、竿やらバケツやらを手に持って、関門橋の方向に向かった。
門司港はそこそこの観光地ではあるのだけど、平日ということもあって、人はほとんどいない。何人かの釣り人が(恐らくチヌの餌釣りだろう)竿を垂れているのと、何もかも終り、別の何かが始まりそうなおじいさんが、ベンチに腰掛けて海峡を眺めているだけだ。
彼は関門橋の下をくぐり、和布刈まで出る。(めかり)と読む。昨夜 Google Map で目星をつけていたポイントまで来ると、釣りの準備をする。
母親は今、仕事を二つしている。一つはコールセンターのアルバイトで、これがメインの仕事だ。そして今は、三ヶ月前に誘ってもらった知り合いのお店でも働いている。知り合いのお店は夜七時からの営業で、午前二時まで続く。男の人の話を聞いたり、逆に自分からたくさんお話をしたり、お酒を注いだり注がれたり、タバコに火をつけてあげたりする仕事だ。コールセンターのアルバイトは十八時に終るので、かけもちの日は休む暇もない。
そういうわけだから、仕事はいつも、三連勤までにしている。三日働いて、一日休む感じだ。こうすれば体力や精神力が破綻することはないのだけれど、二連休というものも滅多にない。自分で仕事をこのパターンにしてみて気がついたのだけど、人間って、二連休以上じゃないと案外遊びに行かないよ。一日だけの休みなんて、家でのんびり過ごすばかり。
彼は釣りの準備を終えると、本州に向かってルアーを投げた。ルアーとは、主に小魚を擬した、針のついた金属片である。結構な重さがあり、これを竿の弾力を利用して遠くへ投げ、リールの巻きかたや竿先の細かなアクションで小魚のような動きをさせ、フィッシュイーター(魚を食べる魚)を釣り上げる。
海峡では、小倉松山観光のフェリーが走っている。彼はそのフェリー目がけてルアーを投げた。あのフェリーはクルマごと乗り込むことができ、四国観光にはもってこいだなと彼は以前より考えていた。次の春には彼もクルマごとあの船に乗り込み、四国の綺麗な川沿いを南下しようという、ほんのりとした計画も持っていた。クルマの中には折りたたみの自転車も積み込むのだ。自転車を積み込んだクルマを船に積み込み、四国へ行くのだ。
母親の休みが二連休になるのは久しぶりのことだった。彼女と息子は、1LDKの賃貸マンションで暮らしている。毎朝、息子を保育所に預けてから母親は出勤する。母親が休みのときは二人で家で過ごし、保育所に預けられなくて母親が仕事のときは、おばあさん(母親の母)の家に息子を預ける。
二連休の二日目、母親は久しぶりに息子を外に連れ出すことにした。でも、自分が海を見たいだけだった。日々沸き立つ頭の中を整理するため、母親は海を見たかった。息子と手をつなぎ、海のすぐそばの歩道を、ぼうっとした頭でゆったりと歩きたかった。
母親と息子は、JRの駅でいうと、六つ離れた街までクルマで来た。門司港。母親はノーフォーク広場の駐車場にクルマを止め、息子の手を取って、海沿いの歩道を歩き始める。関門橋の下をくぐり和布刈まで。ときおりベンチに腰を下し、海を眺める。
(このささやかな海峡を、何度か小さな連絡船で渡った)
母親はそんなことを思った。九州門司港側の乗り場から、本州下関側の乗り場まで。定員三十名程度の小さな船、いつも海峡の海流にわりと大きく揺れた。船は五分程度で海峡を渡る。母親はこのささやかな船旅が結構好きだった。
けれども今日は、船には乗らない。母親は水槽に入れられた初心者の金魚のように、九州のへりをなぞり、海沿いの歩道を歩いた。時折息子に話しかけながら。海をじっと見つめながら。ベンチに座ってぼんやりと眺めながら。どれだけ海を眺めても、頭はすっきりとはしなかった。海は、そこまでの力を貸してくれない。
母親は諦めて、これまで歩いた道のりを、クルマに向かって引き返し始めた。しばらく歩いたところで、釣り竿を大きくしならせて、魚と格闘している男を見た。
彼は何度も、ルアーを海に向かって投げた。投げてはリールを巻き、投げては巻き。ぼうっと浮きを眺めているチヌ釣りのおじさんたちを時折避けつつ、彼は五メートルずつ移動しながらルアーを投げた。
そろそろ俺も、ああいう風に浮きを眺める釣りに変えてもいいかもしれないな、と彼は思っている。けれども餌釣りは毎回餌を用意してから釣り場に向かう必要があるし、なんと言っても彼は、イソメやゴカイのようなうねうねした生き物が苦手だった。それを克服することがない限り、彼はこのせわしない釣りをこれからも続けるだろう。
なんとなく日が傾きかけたとき、彼の一投に反応があった。もそっとしたアタリ。彼はリールを巻く手を止め、竿先の小さな動きだけで魚を誘う。しばらくして、ガツンとくる。
彼は大きく竿を引きつけ、魚にアワセを食らわす。竿がぐんと重くなって、ラインがぐいぐいと引っ張られる。かなり重い。エラアライはしない。
じっくりと魚を寄せてくると、すぐ手前まできて再度抵抗が始まる。が、ドラグが出ていくほどではない。魚が足元へ上がってきた。シーバス(鱸)、七十センチ程度。
タモで掬う、二回失敗したがフッキングが最高の状態で、外れることはなかった。三回目になんとか上手くタモに入れて引き上げる。引き上げられたシーバスは観念したのか、タモのなかでわりと大人しくしている。
「うわーこんな大きなのが釣れるんですねー!」
この光景をずっと見ていた母親は、興奮して彼に話しかけた。息子も興味深そうに魚を眺めている。
彼は魚の口からルアーのフックを外し、メジャーで長さを計る。七十二センチ。なかなかの大物だ。そして魚の横にタバコを置き、携帯電話で二、三枚写真を撮った。
捕りこみから写真撮影までの動作を手早く終えたあと、彼は魚を海に放とうとした。
「逃がしちゃうの?」
息子が、もったないないといった感じで言った。
彼は海に放り込もうとした手を止め、息子の目をちょっと見たあと、お母さんの顔をじっとみた。
「よかったら、持って帰ります? 差し上げますよ。袋ならあるし」
母親は迷ったけれども、あとはもうクルマで三十分の道のりを家に帰るだけだ。袋に入れただけの魚でも、三十分ならもつだろうと考え、
「よいのなら、いただきます」
と彼に言った。
「わかりました。じゃあ、魚を絞めますね」
彼はそう言って、タックルボックスの中から万能ナイフのようなものを取り出し、リュックサックから、くるくると丸められる樹脂でできた簡易まな板を取り出した。そして傍らのロープがついたバケツを海に放り投げ、海水をすくった。
彼は魚をまな板の上に載せたあと、子供のほうをちらりと見、母親に言った。
「結構グロテスクですので、お子さんには見せないほうが……」
母親はちょっと考えてから言った。
「いえ、いいんです。見せてあげてください」
「わかりました」
「殺しちゃうの?」
と子供が不安そうな顔で言った。彼は、詳しく説明してあげることにした。
「このお魚は、きみときみのお母さんに、あげることにしたんだ。今夜はお母さんとふたりで、おいしいお魚の料理が食べられるよ」
「うん」
「お魚はね、もし食べるのなら、ぱっと殺しちゃわないとだめなんだ。もしこのまま生きたままできみとお母さんが持って帰ると、お魚は少しずつ少しずつ、苦しみながら死んでいくんだよ。お魚だって苦しんで死にたくはないし、それに苦しんで死んだ魚はおいしくないんだよ」
「ふうん」
「だから今ここで、ぱっと殺しちゃうんだよ。そうすればお魚も苦しくないし、長い時間苦しまずに死んだお魚は、食べてもおいしいんだよ」
「わかった」
と子供は言った。
彼はまな板の上の魚の頭を、タオル越しに左手でしっかりと押さえつける。少し考えたあと、魚の向きを反対向きにし、右手で魚の頭を押さえつけた。魚を反らせるような形で押さえつけ、広がったエラの部分に、刃を上むきにしてナイフを左手で差し込む。突然のできごとに暴れようとする魚を強く押さえ込み、一気にナイフを背中側に押し込む。骨や神経が切断され、魚は即死する。そのあと尾びれの近くにもナイフで切り込みを入れ、血抜きをする。
「魚、痛かった……?」
まんじりともせずに見守っていた子供が、彼に聞いた。彼は少し考えてから言った。
「少しも痛くなかったよ」
彼は血抜きした魚をバケツの海水で丁寧に洗ったあと、コンビニの袋に入れた。そしてそれを母親に渡す。
「ありがとうございました。いいものを観させてもらいました」
母親はそう言ったあと、もっと何かを言いたそうにしていたけれど、
「袋に入れただけの魚ですから、早く帰らないと」
と彼は言った。
「そうですね、じゃあ。ほんとにありがとうございました」
母親はそう言って、子供に目配せをした。
「ありがとう、バイバイ」
子供がそう言うと、彼は「元気で」と言った。
母親と子供はクルマに乗り込んだ。母親は「今夜は洗いの刺身と、焼き魚。明日は残った身で煮付けを……」などと考えながら、家路を急いだ。助手席の子供は、クルマの床に置いた魚の入ったコンビニ袋を両手で持ち、開けたり閉めたりしている。時折興味深そうにしげしげと眺め、右手でつついたかと思うと、思い直したかのように左手でつついたりしている。
「あんまり触ると魚が悪くなるし、手が臭くなるわよ」
と母親は声をかける。
いつだって、何かは始まっているし、何かはどうしようもなく終っていっている。いつもは感じられないそんな物事を感じられる日がたまにある。人はそれを予感と言っているけれど、今日がそんな日だったのかもしれない。母親はそんなことを考えていた。
「ねえママ、あのおじさんはどうして、ママとぼくがふたりで晩ごはんを食べてること知ってたの?」
「そうね、宇宙人なのかもよ」
母親はそう応えつつ、クルマを走らせる。あたりから海の気配は消え、繁華街が広がり始めていた。
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