今を幸せと感じられれば、 人生は「いま」の連続体なのだから、 一生が幸せなのである
もう2年も前に書いた文章なのねコレ。
令和がどんな時代になっていくかわからなかったけれども、平成最後は本当に平和に終わりました。いろいろあったけど、今のこの悲惨な状況を考えるとまだよかった。
よかったというのは、まだ考える余裕があったからだ。
30年は長い。その時代をどう過ごそうとしていたか?2年前ですら、今の生き方への向き合い方と違う。
『いま、この瞬間をどう思うか?』を意識して生きれる余裕はあったが、今はそんな余裕がない。
忘れかけていたからこそ、今もう一度考え直そうと思う。
いま、この瞬間を幸せに思う方法を。
本投稿は、『週間キャプロア出版』で掲載されたものを大幅に加筆修正したものです。
『週間キャプロア出版 企画』とは、全てFacebookメッセンジャーのやりとりだけで企画からKindleでの出版までをメッセージグループに居合わせたメンバーだけで行うという新しい試みの出版グループです。とても面白い試みですので、ご興味がある方は是非参加してみてください。
週刊キャプロア出版(第14・15合併号): 平成最後の〇〇 週刊キャプロア出版編集部 https://www.amazon.co.jp/dp/B07GFRNQX5/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_FHaGFb1KSZK6G
平成最後の夏に『玉音放送』を聴きながら
”幸福な人生とは、
その人が一生の間に
どれだけ「幸せだ」という感情を
持つ事ができるかによって決まるもの。
こう考えると、
順風満帆の時もそうでない時も、
その時、「どう感じるか」が
重要になってくる。
つまり、いま、この瞬間を
どう思うかなのである。
今を幸せと感じられれば、
人生は「いま」の連続体なのだから、
一生が幸せなのである。”
これは、日本の黒幕と呼ばれた安岡正篤(やすおかまさひろ、1898年(明治31年)2月13日1983年(昭和58年)12月13日)の言葉だ。この言葉に込められた幸せの定義こそ現代の我々の社会に欠けているものではないかと感じる。あるのは幸せだった過去と、未来を幸せにしなければならないという思い込みだけだ。過去の積み重ねに押しつぶされ、将来の不安に苦しめられるこの気持ちである。今この瞬間をどう思うか?ということが一切かけている。そして誰もこの瞬間の幸せを感じ取ろうとしない。この抑圧された社会を築いているのは一体誰なのか?ということに気付くべきである。自分自身だということを知らなければならない。
抑圧された社会を見つめる為に政治の世界に目を向けてみよう。昨今政治の世界では『アベ政治を許さない』などと言う言葉が流行っているが、この言葉を掲げて活動をしている人たちに疑問を感じることがある。安倍首相は支持者が多いからこそ首相を「やらされている」ということに実感できないものだろうかと思う。安倍首相の支持者は安倍首相に頼まれて支持者をやっているのではない。一人の人間のお願いで国が動かせるのであれば政治などいらない。彼らの言う安倍政治とは一体何なのか?安倍首相を支持している国民への反発なのだろうか?であるならば、無自覚に安倍首相を支持してしまっている人々の心には届かないだろう。寧ろ、憎悪と嫉妬と復讐の連鎖を作るだけのように感じる。それこそが目的なのかもしれないのだけれども。
なぜ政治の話をしたのかと言うと、幸福とは程遠い行為に溢れている様に伺えるからである。と同時に、幸福感を感じられない抑圧された社会を築いているのが自分たちだと実感を持っていないからである。政治は利害の違うもの同士を調整することが役目だ。利害の調整という役目であるがゆえに幸福に包まれるのは程遠い場所であろう。しかし、幸福とは遠い場所であるからこそ理想には近づきたいと思う。過去のしがらみ故に、もしくは将来の希望の為に主張をする政治の場は、この瞬間の幸福を感じられる場所ではないのかもしれない。
それは仕事においても同じことが言える。自分の中の幸福感や満足ではなく、他人に委ねられた幸福に人生を左右されると言うのは本当に不幸だ。今度は我々の生活を支える共同体である企業というシステムを見てみよう。
営利目的の企業の使命は売り上げを伸ばし成長することだろう。
もし企業に意思があるのであれば、成長している瞬間瞬間は幸せなのかもしれない。しかし残念なことに企業に勤める従業員は企業の意思を感じられる訳はなく、将来の希望の為に苦労を強いられ、奪われた幸福感を抱えながらシステムの一部として奉仕する。そういうものだと決めているのは一体誰なのか?そうせざるを得ない状況に追いやり自分を苦しめているのは何か?自分自身ではないだろうか?
ティール組織のように各々がベストを尽くし、様々な立場を越えて一つの作品を作る本書の「週刊キャプロア出版」のように、幸福を感じる場所だってできるはずだ。それは、「週刊キャプロア出版」の参加者が今この瞬間の幸福を実感しているからだと思う。
政治も企業もきっと友人関係や恋人同士も同じなのだと思う。
今この瞬間を幸せに感じれないことに、この重苦しい空気間の原因がある。
と、ここまで書き綴って気がついた。幸せと感じていないのは自分自身ではないか?と。
”オイラは毎日楽しい楽しいという。
気になる人に会いに行き、感動を得てそれを声に出して喜び、会えてよかったと相手に伝える。
好奇心と無邪気さにパラメーターを全振りして、今この瞬間の幸せの為に生きる。”
そう、VALUやTwitterで呟くのは、自分自身がそう思えていないからなのかもしれない。
最後に、なぜこの話をしたかの説明をしておこう。
今年は平成最後の夏である。平成は31年の4月30日までは続く。この平成の元号を考えたのは安岡正篤だという話を聞いたことがあったので、安岡の思想を伝えたかったのだ。
そして安岡は、毎年夏に耳にするであろう終戦の詔勅『玉音放送』の刪修をした人物でもある。
巷には安岡正篤の名を知らぬ人も多いだろう。安岡正篤は、日本の黒幕と言われた男であった。
昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。
安岡が作った平成という言葉に縛られた我々の時代は、未来を託された時代だったのかもしれないと感じた。それは、終戦の詔勅の中にも込められている。
”国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、日本の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。”
これは『玉音放送』を現代語訳したものだ。ここに我々を縛り付けていた全てが込められていると思う。
耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢する時代はもう終わりにしよう。それよりも、日本国民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有しあうことを我々のビジョンにしていこうではないか。
平成最後の夏に、折しも本書が発売されるのは、終戦の日である。『玉音放送』に込められた幸福のビジョンに目を向けてみようではないか。
掲載時のあとがき
幸せになりたい!と言いながら幸せになることをしないから文句があるのです。おいら自身はそれが幸せに繋がらないことをわかっていながらやってしまうジレンマに苦しんでいるんよ。でも幸せって気分じゃん。気分を良くするにはバランスの良い食事をして、キチンと睡眠をとってセックスをすることですよ。それが言いたいのに『平成最後の〇〇』ということで、何故か関係あるようで無いことを書いてしまった。今回の反省はまとめきれなかったことです。
週刊キャプロア出版では、このようなテキストを沢山の人が参加して、沢山の人が企画し、編集をして出版される電子書籍です。
Kindle Unlimitedでも無料で読むことができますので、是非お手に取ってみて下さいね。
週刊キャプロア出版(第14・15合併号): 平成最後の〇〇 週刊キャプロア出版編集部 https://www.amazon.co.jp/dp/B07GFRNQX5/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_FHaGFb1KSZK6G