有名人の創造


なんか、テレビ業界の人の話題が蚊帳の外で、あまり電波が届かないな。うち、テレビないしな。

だから、何?みたいな感じ。
 テレビに出てるタレントの話。

今、YouTubeの方がいい。

YouTubeで、誰々が動画おもしろいとかなら、電波が届く。

今、個人の携帯から放送できるやん。

テレビの世界って、まだ、20世紀なのかな。笑。

今の時代は放送局としての
スマートフォン、そして契約して、通信料を払っていれば、誰でも放送できる時代になった。
誰でも個人が放送権をもっているんだけれど、
誰でもスマホがあれば放送できる、個人が誰でも放送権をもっている時代に、テレビが、地上波が、昔の流れ、放送権がまだ、国とかの大きな物語だった頃の名残で、20世紀に見えても仕方ないよね。

誰でも放送権をもっている時代だという、認識。

そして、有名人とは自分が電波が届く範囲内なのだと個人によって、有名な人がちがう時代なのだと、言えないかな。笑。

POPの戦略が確実に当たる時代になってきたな。

「個人単位で有名人が決まる」

もちろん、バイクができても、自転車はなくならないから、テレビ業界はあり続けるけど、有名人って、再定義できるだろうね。個人単位でね。

「POPの戦略が確実に当たる時代になってきたな。」

いや、それが、失効して、個人の文化が、たくさんの人に当たる、いや、そうか、それがまさに、POPの勝利だ。POPの戦略の末に誰もがスーパースターになれるから。

「有名人の再定義について」

 NEO FACTORYの位置。

ミニコミみたいなものの
勝利がスマートフォンやSNSにはある。

共通の有名人は幻想に過ぎない。

テレビがなかったり、情報が届かないと他人であり、電波が届かない人である。まったくその人は無名に等しく、コメントは心に届かない。

個人単位で、有名ができていく。有名人の創造である。個人が有名人を創造していく時代なのだ。ミニコミは勝利したのだ。長かったな。

個人単位で
有名人を創造できる時代に
なったのだ。

個人単位で、放送局ともなり、新聞ともなり、人を有名にしたりできる。
 有名人を創造できる。
 有名人をつくれる時代だ。
 有名人を創造できる時代。

有名人の創造 である。

個人事業主の会社から、有名人はつくれる、創造できる時代になった。スマートフォンがあれば、できる。

かつての20世紀的な国規模の
メディアの富は今や、個人の手のひらの上で有名人をつくりだせるまでになった。
個人事業主の会社が有名人を創造する。
NEO FACTORYは有名人を創造する。
それがNEO FACTORYだ。


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