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日本人はSNSに弱いという事実を覚えておこう。

最近に始まったことではないですが、
ツイッターやヤフコメなどを見ていると、
赤の他人に対して「おまえ」などと呼んで、
非常に汚い口を聞く人がいますよね。

私はそういうのは非常に嫌いなのです。
ですから、仮想空間上でも、
できるだけまともな口調でいることを心がけています。
(ときどきそうできていない場合もあるかも知れませんが)

しかし、ツイッター上で他人を「おまえ」と呼ぶ無礼者も、
日常生活の中では、そんなことは滅多にしていないと思います。

ネットのままの口調では、リアルな生活は破綻します。

しかし、最近、ネット文化が浸透するのと比例して、
人々の心がどんどん壊れていっているという傾向は感じています。

今日はそんなことを書いてみます。

皆さんは「分人主義」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
作家、平野啓一郎さんが著書『私とは何か「個人」から「分人」へ』で提唱された
人格の解釈の仕方で、私も非常に共感します。

つまり、こういうことです。

人間にはいろいろな顔がありますが、「本当の自分」というものがあると思っています。
でも、実際には「本当の自分」という唯一の人格はなく、
人格というものは相手や環境との関係性の中で相対的に作られるものであり、
その数の分だけ人格が存在する、ということです。

それらの人格を、分割できない「個人」に対して
分けられる人という意味で「分人」と呼ぶ。そんな考え方です。

確かに我々は家庭の中で、友人関係の中で、
恋人関係の中で、仕事関係の中で、それぞれ人格を使い分けています。

仕事の中だけでも、取引先の人との関係、後輩との関係、
上司との関係、などなど、様々に態度を使い分けますね。

それは当たり前のように自然に行われます。
相手との関係性において喋り方や声のトーンまで変えています。

小学生の時などに、学校の中で誰かが先生を「ママ」と呼んでしまい、
爆笑の渦になることがありますが、
あれは、ただ「ママ」と呼んだまちがいを笑っているのではなく、
そのときの声のトーンが学校生活のそれではなく、家庭のそれ、
つまり、普段みんなが聞き慣れたその人の声ではない、
別の顔を一瞬垣間見たことによる恥ずかしさと照れ隠しからの笑いです。

なぜなら、恐らく「自分も本当はそうである」ということを
その瞬間に感じるからだと思うんですね。

以前にも書きましたが、私が日本のテレビドラマに違和感を持つのは、
あるキャラクターがあらゆる場面で声のトーンや喋り方、つまり、
その人のキャラクターを変えないからなのです。

「こんな口調で家の中でしゃべらなだろう」ということですね。

でも、リアルに相手ごとに口調を変えていると、
テレビの中では多重人格者に見えてしまうのかも知れません。

つまり、人間は誰もが、ある程度多重人格なのだと思うんですね。
隠していますがね・・・・

私は平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」には賛同するのですが、
これには言語文化が大きく影響していると思っています。

例えば英語のように、
誰に対しても言い方や呼び方が同じで通じる言語文化の場合、
父が子に話す場合も、友人同士が会話する場合も、
それほど言語に変化が必要ありません。

分人は「話し方」と大きく関わっているので、
外国の方は日本人よりも分人の数が少ないのでは?と思うんですね。

実際に国際結婚をされている方に聞いてみたことがあるのです。
フランス人の旦那さんの口調は、友人に対してと家族に対してと、
どれくらいちがいますか?と。

変わらない、という答えでした。
調べた数が少ないですが、外国の映画やドラマを見ていて違和感がないのは、
誰に対してもそれほど話し方を変えない、という文化のせいかなと。

先日、アメリカの大学生のドキュメンタリーを見ていたのですが、
やはり先生に対しても、家族に対しても、友人に対しても、
それほど態度が変わりません。その人のキャラクターは概ねひとつです。

でも、日本でそんなことをしたら、「失礼なやつ」ということになるはずです。
これは言語文化から生まれた国民性の差であり、
それらはその文化が育まれた地政学的な環境などにも影響されているはずで、
変えようと思って簡単に変わるものではないと思うんですね。

さて、ちょっと話を変えてみます。
「言霊」についてです。

言霊と言ってしまうと、言葉に内在する霊力というくらいだから、
ちょっとスピリチュアルなゾーンに入ってしまいやすいですが、
脳科学的に言って、その人が発する言葉によって、
その人の心がコントロールされる、という側面はあると思うんですね。

穏やかな口調を心がければ、心も穏やかになるし、
怒ってばかりいれば、人は怒りやすい性格になってしまうものです。

実態が言葉に誘発される、という効果があるということですね。

自分の感情を抑えられない人というのは、
容易く自分の感情を言葉に出してしまいます。
だから余計に感情の起伏が激しくなってしまうわけですね。

そのような言葉の心に対するブーメラン効果を
ここでは「言霊」と呼んでいると思ってください。

この言霊がある限り、言葉というのは結構、慎重に扱うべきものだ、
ということがわかるはずなんですね。
言葉や言葉遣いが、その人自身を変えてしまうパワーを持っているということです。

で、ここで、SNSというものが現れて、
仮想空間という新しい社会が生まれ、そこに新しい人間関係が生まれました。

この空間の特徴は、「自分を特定されない」という「匿名性」です。
相手は知らない人ですから、別に嫌われても大丈夫だし、
関係が破綻しても、すぐに別の関係に乗り換えればいいだけですから、
固執する必要もない。

だからそこでは、リアルな世界では決して直接ぶつけられなかったような
汚い言葉、激しい言葉をぶつけることが可能です。

赤の他人だからこそ、ですね。

そうして、心の箍(たが)を外して、
汚い言葉を簡単に繰り出す人が増えています。
それを感じない日は、1日としてありません。

先ほども言ったように、
日本人は相手によって呼び方や言葉遣いというものがかなり変わるので、
相対的に分人を持つ数がとても多いことを強いられる社会に住んでいます。

そのことが精神を参らせてしまう危険性も高いということです。

しかし、言葉の文化が、日本人の礼儀・礼節の文化を作ってきたとも言えるはずです。
人々が礼節を重要視したのは、リアルな世界で生きるには
社会性が必要だからですね。

そんな中で、礼節を守らなくてもいい空間が、匿名のSNS空間です。
SNS空間を与えられた日本人は、
それまで自分を縛り付けていた「礼節」を自ら破壊し、
その言葉を受け止める人間のことをまったく考えなくなっています。

けれども忘れてはいけないのは、言霊・口調で人間の性質は変わるということです。

SNSで暴言を吐いている人も、実世界ではちがうと思っているでしょう。
しかし、そのような言葉を発揮する場がなかったときには
起きなかったはずの負の変化が、心の中に明らかに促されているはずです。

そしてその変化は、あなた自身の人格を破壊していくものになります。

声をあげることは重要です。

同調圧力が支配するこの国では民主主義が育ちにくい土壌があるはずで、
そんな環境下で声をあげるのは、あげないよりもずっと過酷です。
しかし、声を上げなければ社会は良くなりません。

だから声をあげることは、とても重要です。

けれど、そんな正当な場面でさえ、
私は「口調」にはこだわるべきだと思っています。
汚い言葉は、あなたの人格を破壊してしまうからです。

人格が壊れてしまうと、その人の言葉は他者を傷つけることはあっても、
決して正しい方向、豊かな方向に心を揺さぶることはありません。
つまり、何も伝わらない、ということです。
それでなく、人々の分断をうみ、やがて社会そのものを壊していきます。

ツイッターでも、ヤフコメでも、言葉遣いにこだわるべきです。
礼節にこだわるべきです。
仮想空間は、ある意味でリアルな社会の鏡であり、
そこからリアルな社会を破壊する力学が働きます。

日本語文化は人との相対関係にとても敏感で、
我々日本人は、SNSにとても弱い文化の中に暮らしているということなのです。

社会と、あなた自身の心の安全を保つために、
是非、気にしてみてください。

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