カスタマーという概念からの脱却
今、ビジネス界隈では、
AXだの、BXだの、CXだの、DXだのと言われていますね。
今の時代になくてはならない潮流だという人もいれば、
そりゃいったいなんだ?という人もいるでしょう。
安心してください。3年後には、誰も口にしなくなっています。
ビジネスの世界では、何かと新しい言葉を作り出しては、
今度はこれだ! いやいやこっちだ!とやりたい人が多いのです。
でもそれらの中で、
物事の本質的なフレームについて語っているものはほとんどありません。
小手先の小さな変化を、イノベーションと名付けて騒いでいるだけです。
しかし、世の中は今、
資本主義が生まれてから最大のビッグ・チェンジの時代に
さしかかっていることも確かです。
それは「売り方」とか「消費者の気分」とか、そんなものではなくて、
人類の存続という部分に根っこがあるので、
これまでの流行り廃りのような変化とは
レイヤーがちがうと私は考えています。
※
私がとても注目していて、
かつ、これからの社会のヒントとなると考えるのが、
「コミュニティ」というものです。
もちろんコミュニティの重要性を掲げる人も多くいて、
まちがいなく世の中の流れはそちらに向かうでしょう。
しかし、コミュニティがなぜ重要なのかというイメージを
もっと深掘りする必要があると思っています。
ここで起こる変化というのは、単にコミュニティが作り上げられる
ということではないと思うからです。
そこで私がお伝えしたい本質的な変化とは、
「カスタマーからパーティシパントへ」という変化です。
カスタマーとは「顧客」のことですね。
それに対してパーティシパントとは「参加者」のことです。
これからのコミュニティのあり方として私が重要視するのは、
そこにいる人々は小さな商圏の顧客ではない、ということです。
そうではなく、ひとりひとりがその商圏そのものを成立させている
フラットな関係のピースのひとつなのです。
もちろん、コミュニティには提供する人と買う人がいるでしょうが、
それはたまたまそのような「役割」を担うだけで、
すべての人の立場はフラットであり、
それぞれが役割を担うことによって、
そのコミュニティが成立する、ということです。
互いに与え合い、支え合う。
これこそが、これからやってくる経済の姿だと感じています。
※
もう少しイメージしやすくしてみましょう。
カスタマーなんとか、というビジネス言葉がありますよね。
そこをパーティシパントに置き換えてみるとどうなるか。
例えば、カスタマーファースト。顧客第一ですね。
これをパーティシパントファーストにする。
「参加者第一」ということです。
すると、そこに必要な要素はなんでしょうか。
皆が参加しやすくなる仕組みとか、買う側だけではない、
そこにいるステークホルダー全員にとって、あるいは、
その関係性を維持するために最適なことが重要だということになります。
或いは「カスタマーサティスファクション」。
顧客満足度なんて言いますね。
これも置き換えましょう。
「パーティシパントサティスファクション」です。
参加者満足度ですね。
これはとてもわかりやすい概念だと思います。
人間という生き物は、面倒くさがりです。
だからサービスをする側とされる側だと、
どうしてもされる側の方がラクだからいいと、一見、思われます。
しかし実際はちがうんですね。
人間の本当の満足というのは、自分のために何かをしたときより、
人のために何かをしたときの方が大きいのです。
あるいはそのコミュニティ全体に対して何かをできたとき、
大きな満足を得られるんですね。
そのことを互いに理解しているもの同士というのは、
自分の満足のために利他的に行動する、という
今までの概念とは逆のことが起きてくるわけです。
そういう集団こそが、
これから生まれるコミュニティの在り方ではないでしょうか。
※
世の中では今、「持続可能」ということが言われます。
なぜかと言えば、簡単なことです。
今までのままでは持続が不可能だからですね。
持続とは、ずばり言えば、人類の存続のことです。
これからデジタルの力や、その進化を使って、
様々な新しいコミュニティの在り方が試されることと思います。
その中で徐々に「素敵なスタイル」というものが確立されていくでしょう。
その要素が「みんなで作っている」ということなのですね。
もちろん関わり方の濃淡はいろいろだと思います。
デジタルの力があれば、人は今まで以上に複数のコミュニティに
多様な形で絡むことができるようになります。
そこでは、その人がそこにいる、ということに価値が生まれます。
何か品物を売り買いするとか、そういうことは、
いくつもある価値の形の中のひとつに過ぎなくなります。
新しい価値は、人の価値です。
特別でなくていいのです。
人はひとりひとり違いますからね。
そういう社会になっていくはずです。