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少子化対策と温暖化対策の関係性

去る1月4日に、岸田首相から
「異次元の少子化対策」という言葉が飛び出しました。
もちろん子どもたちや次世代のための対策は
どんなに増やしても多すぎることはないので大歓迎です。

岸田首相によると、昨年の出生数(読みは「しゅっしょう」です)が
80万人を割り込み、少子化対策は待ったなしだと。
で、将来的な子ども予算を倍増するとのことです。

大いにやっていただくことを前提に、
ちょっとだけ胸騒ぎがするところがあるのは、
日本の少子化は、実は1970年代から始まっていて、
「核家族」というのがまさにそれなんですね。

2人の親から2人の子が生まれて、
やっと人口維持ですから(簡単な算数ですね)、
団塊世代が団塊ジュニアを産んだときから、
少子化は始まっていたのです。

そういうことを考える能力がなかったんですね、日本には。

まぁ、「待ったなし」と言う言葉を出すには遅すぎるということ。

それと、気になる「倍増」ですね。
倍増と言えば軍事費じゃないですか。
最近の世論では「軍事費はすぐに倍増を決定するのに、
どうして子どもたちの予算はいつも財源がないのだ?」という批判が
噴出していましたから、
今回の対策は軍事費倍増のための火消しである可能性もある。

でも、まぁ、動機はどうでもいいのです。
ちゃんとやってくれさえすれば。

ただそこでもうひとつ気になるのが、「異次元」という言葉です。
異次元といえば、異次元の金融緩和ですね。
こちらは日銀が民間銀行が持っている国債を買い取ることで
銀行に日銀当座預金を供給することで、
企業や市民が銀行からお金を借りやすくしたのです。

そうすることで経済を回そうとしたのですが、
そのためには「仕事」つまり公共事業が必要だったんですね。
財政支出です。それを出し渋ったために、
結局、長いこと異次元の金融緩和をしたのに
2%のデマンドプル・インフレを実現できませんでした。

自民党はよく言葉遊びで誤魔化すという手法を用います。
敵基地攻撃能力を反撃能力と言ったりする、例のあれです。
そんなふうに、今回も言葉遊びに終わらないことを祈ります。

とまぁ、政府の少子化対策について書いたのですが、
今、本当に必要なことってなんだろう?って思うと、
もちろん子どもを育てやすい社会にするというのは当たり前として、
人口の減少をストップさせることが第一議なのか?
とは思うんですね。

我々が抱える大きな問題として、
少子高齢化による人口減少と、地球温暖化による気候変動があります。

両者には似たところがあって、
それは「すでにどんどん進行している」ということです。

ですからそれらに対する対策は、進行を止めるための「軽減策」と、
進んでしまう現象からの影響を緩和する「適応策」があります。
どちらもやらなければいけないのですが、
どっちが重要なのか?という視点が大切になってきます。

例えば、地球温暖化はどんどん進んでいきます。
ですから、進んでしまう気候の変化に対応した対策をとらなければ、
人間は生きていけなくなります。

しかし、地球の温度上昇そのものを止めなければ、
いくら適応策を施したところで限界がきてしまいます。
地球温暖化は、どちらかといえば軽減策が今すぐ必要なことなんですね。

具体的にいえば、CO2排出を今すぐやめる必要がある。
私が思うには、エネルギーの転換ももちろん重要ですが、
そもそも低エネルギー社会へと切り替える必要があると思っています。

人間が生きるために必要なエネルギーの総量を抑えるということです。
あまりそういう議論にはなっていません。

なぜだと思いますか?
資本主義の仕組みと相性が悪いからです。
つまり、資本主義が地球と相性が悪いということなんですが・・・

次に少子化の方を見てみましょう。
少子化もどんどん進行していますが、これは人口がどんどん減っているということです。
翻って、世界の人口はどうかといえば、こちらはどんどん増えていて、
地球規模で見ると人口増大とそれに伴う食糧不足が深刻な課題です。

人が増えれば、当然、必要なエネルギーも増えます。
地球という限られた場所にある資源には限りがありますから、
人口が無限に増えるということは、あってはならないことです。

研究によると、世界人口も100億人に達することなく、
減少傾向に転ずるのでは? という説もあるそうです。

ここで注目していただきたいことは、
人類の持続可能性のためには、
人口は「減らなければならない」ということです。

もちろん戦争や殺戮によって、ではありません。
自然な流れにの中で、という意味です。

これから日本は人口が減少していきます。
ということは、移民を人口総数に影響するほど入れたりしなければ、
日本に必要な食料の総量も、必要なエネルギーの総量も、
これからは減っていくということです。

これは持続可能な国づくりという観点から見れば
決して悪いことではないのです。
そしてどちらにしろ世界中が人口減少の傾向へと移っていきますから、
そこで得られた知見は世界中に役立つことになりますし、
人口減少は最後の日本人が死んでしまうということろまで進行はせず、
いずれ日本のサイズに適性な数で安定すると思うんですね。

今の日本は、異常に人間が多過ぎるのです。

当然、増えていく流れにあったときと、
減っていく流れにあるときは、社会の様子はまったくちがいます。
ですから、今までの日本と、
これからの日本の様子がまったくちがうのは当たり前なんですね。

でも、それは決して悪いことではないのです。
環境と共生し、住み良い日本へと変わっていくのですから。

ただ、人口が減っていくと不都合なことはあります。
先ほども書いた「経済」の問題ですね。

資本主義です。

これと人口減少は、圧倒的に相性が悪いのです。
なんといっても資本主義は永遠の成長を欲しますから、
どんどんデカくなりたいのです。

無限にデカくなりたいのです。

でも人間が太り過ぎると健康を害すように、
無限にデカくなるということは存続が不可能なのですね。
人間に適正な体重があるのと同じで、
地球上に人類がいていい総数にも適正な数があるはずです。

80億人は明らかに多すぎる。

だから、人類は人口が減少することに適応し、
一定の数に安定するまでは、減少を是とする価値観を生み出すしかないのです。

私が「資本主義に終わりが来る」と言っているのは、
そういう根拠があります。
もちろん「今の資本主義」という意味なので、
時代に適応した資本主義が生まれるかも知れませんね。

ということで、私は今日言いたかったのは、
今の日本に必要なのは、人口問題に関していえば、適応策重視、
ということです。

減っていく人口を受け入れた上で、どのようにその社会を
明るく、しあわせに回していけるかという
社会構造の変革が必要だということです。

そして、その変革こそが、じつは究極の軽減策でもあって、
やがて子どもが増え、人口減少に歯止めがかかるのだと思います。

軽減策と適応策は、パッと見は区別しにくいでしょう。
とにかく子育てしやすい日本にすることです。
子どもを産みやすい日本にすることです。
それには、養育費がいらない日本にすることです。
また、少ない人間でも子育てしやすく、
少ない若者でも暮らしやすい社会をつくるのです。

そんなのどうやって?と思ってください。
今の社会のしくみの中では、それは無理です。
だから新しいしくみが必要なのです。

そのしくみこそが、新しい日本なのです。

そして、そうやって社会全体の視線が子どもたちとか、
未来に向くようになったとき、
温暖化対策も、より自分ごと化されるでしょう。
これからの地球は、オトナたちが今まで生きてきた地球ではないのです。

昔の人と今の人の最大のちがいはなんでしょうか?
それは「このままだとどうなるか」という予測が
昔の人よりは正確にしやすくなったということです。

技術が進歩したことも理由の一つですが、
人類が総体として得た、記録された経験値が増えているからです。

もちろん一人一人に「学ぶ姿勢」があればの話ですが・・・

日本の人口は急激に減少します。
それに社会を適応させたとき、それがどんなものなのか。
私は見てみたいです。

それは今とちがって、時間がゆっくり進み、
追い立てられるのではなく、人と人が繋がりをもっと大切にして、
穏やかに生きていく社会だと思います。

そこにたどり着くには、人々の感情の奥底に
嫉妬や憎しみを生む「貨幣経済」との付き合い方の変化が含まれます。

それは、人類にとってとてもポジティブなもので、
非常に晴れやかな状態なのではないでしょうか。

私はそんなふうに考えています。

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