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今、日本人に必要なのは、猜疑心を捨てる勇気

ちょっと「日本人マインドの今」を頭の中で整理するために、

いくつか書いてみます。

例えば、日本共産党の議員が街宣するときに
「8時間働けばまともに暮らせる社会へ」という言葉を掲げています。
これを見て、我々はどう思うのでしょうか。

「理想としては、そうなりゃいいけど無理に決まってる。」

例えば、脱炭素やSDGsにむけた欧州の積極的な取り組みをみて、
乗り遅れた日本人はどう思っているのでしょうか。

「あれはヨーロッパの連中が儲けるための陰謀だ。」

例えば、「自分の力で社会を変えられると思う」というアンケート。
イエス解答の世界平均が6割以上なのに、日本は2割以下。

例えば、「気候変動対策は生活の質を脅かす」というアンケート
イエス解答の世界平均が26.8%で、日本は60%。

例えば、「気候変動対策は生活の質を向上させる」というアンケート
イエス解答の世界平均が66%で、日本は17%。

この日本人の「諦め感」「どうせムダ感」「シラけ感」は、
いったいどこから来るのか・・・。

脱炭素やSDGsの達成が必要なこの人類にあって、
この虚無感、他人事感の原因はなんなのか。
そこから目を背け続ける限り、未来が暗いことは確定しています。

私の意識の中では、それは日本社会全体に蔓延していることで、
「社会から信頼が欠乏している」からなのではないかと感じています。

それは人間の「猜疑心」を社会全体が当たり前のように
前提としてしまっていることで発生する。

なぜ、現代の日本人はここまで冷笑的なのか。
なぜここまで未来にシラけているのか。
それを「現実主義」という言葉で
決して片付けてはいけないと思うんですね。

一人残らず、みんなが不幸になってしまうからです。

自己実現的予言というものがありますが、
人が「自分たちに未来は変えられない」と思えば、
未来は変えられなくなります。
そして、多くの日本人が「自分たちに未来は変えられない」と
考えていることが統計的に明らかになっています。

私たちはそれをデータ的に把握していながら、
放置していていいのでしょうか。

人が人を疑う猜疑的な社会から、人と人が信頼し合う社会へ。
それが今よく言われる「システムチェンジ」や社会の大転換、
「誰ひとり取り残さない」SDGsを実現することと同義に感じています。

その実現のために必要なことは、
まずこちらが先に相手を信頼することではないでしょうか。

人を疑うことは簡単ですが、信じることは勇気がいります。
そういう意味で、我々はひとりひとりが勇気を試されていると思います。
つまり、現代の日本人は人を信頼するという勇気を捨てたのですね。
疑うというラクな方へと流れたのです。

私のこの発言も、冷笑されるかも知れません。
しかし、それを恐れることさえ止めていきたいと思っています。

これから、脱炭素やSDGsなど、
今までに人類が体験したことのない社会の大転換を
我々は成し遂げなければなりません。

その巨大な、人類共通のイシューを前にしたとき、
我々人類は一人残らず同胞であり、チームメイトなんですね。
そのことに気づかない人が、目先のことでわーわー騒いでいるけれど、
そんなことはどうでもいい。

そもそも爆弾やミサイルを我々の母なる地球に打ち込んで、
破壊することに、いったい何の意味があるのかと思えば、
戦争なんてバカバカしくなって、すぐにやめるはずですね。

対立しているなんて、バカバカしくてやっていられないことなのです。

我々に必要なことは、その視座に立つことです。
やれ、中国がどうだ、韓国だどうだ、血税がどうだ、誰の金だと騒ぐ前に、
物事の根っこを見つめましょう。

漆黒の宇宙空間にひっそりと浮かぶ地球を思い起こしてください。

太陽の周りを、毎秒10万7千キロのスピードで、
まったく音を立てずに、ただ進んでいる惑星、地球を。
ちゃんと想像して欲しいのです。

我々は、ここにしか住めないのです。
いや、その考えすら正確ではなくて、
我々はこの地球という大きな生命体の一部なのです。

日本という国は、様々なレイヤーで、至る所で、歪みまくった国です。
その歪みの根源にあるのは、
「人間は信頼できない生き物である」という前提に立っていることです。

その典型は、政府と国民ですね。
でも、国民同士だって、いつも疑いあっています。

「それが人間だ」と思い込んでいませんか?
でも、私はそうではないと思っています。

我々が人を疑い、性悪説の前提に立つようになったのは、
お金や経済という、後から生まれた環境によって埋め込まれた、
後天的な反応だと思っています。

そして、それは人間が元から持っている善性からすると相当に苦しいもので、
その前提に構築した社会というもは、
どうしても人間に閉塞感を与え、
心身を正常に保つことが難しくなるのでしょう。

今の社会、誰もが二言目にはお金の話をしますね。
それが当たり前のことになっています。

お金というモノサシですべてを測っていますね。
もちろんそれは結果的にそうなっているだけなのですが、
そのような状態が居心地悪いと、実は誰もが思っているのです。

もちろん、お金そのものが悪かったわけでもありません。
お金というものとの関係の持ち方に失敗したのです。

要因はたくさんありすぎますが、今、理解すべきなのは、
それらはあくまでも「後天的ななものだ」ということです。

我々はいま、本来のあるべき状態を模索しているのだと思います。
それが表出したものが脱炭素であり、SDGsの流れではないでしょうか。
そのように人類がターニングポイントにいるとき、
今の我々日本人のメンタリティは相当マイナスなものとして働きます。

自分が猜疑心を持っていることを意識してみませんか?
私もそうします。
そうやって、自分の心が他者を疑うというラクな道を選ぶことで、
社会はどんどん猜疑心に満ち、また自分自身が苦しい社会になるのです。

この社会の歪みは、
人のことは疑うが、人から疑われたくない、という
ひとりひとりの心の矛盾が折り重なったものです。

解決手段はひとつです。
まずは自分は人を信頼すること。

政府を盲目的に信じろ、というような意味ではありません。
世の中に流されて自分の負の感情を盲目的に受け入れないように
意識するということです。

きっと誰もが、信頼で結ばれている社会に住みたいと思っているでしょう。
「そりゃそうさ」と思いますよね。

でも、その次に「そんなの理想論だし、ムリだよ」と思いますか?
もしそうなら、その発想を勇気を持って捨てるのです。
そこにこそ、なけなしの勇気をふるうべきなのです。

強くなりましょう。
みんなで。

私も努力します。

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