東京
「好きにしたらいいよ」と親から常々言われていたので、大学進学か就職のタイミングで東京に出ることも考えた。しかし実際は神戸の大学に4年通い、特に理由もなく地元に戻った。今の生活に不満も後悔もないけれど、もし東京に出ていたら…と思うことはある。
90年代が語られることが増えたのは、良い意味でも悪い意味でも、振り返る対象になったからなのだろう。渋谷直角さんの『世界の夜は僕のもの』(扶桑社)には、東京の「あの頃の空気感」が描かれていて、その場所にいなかったにも関わらず、読むとヒリヒリする。憧れに近づこうと頑張って背伸びしてた自分と、それを冷ややかに眺めていたもうひとりの自分を重ねてしまうから。たくさんの言い訳を用意しないと楽しめない態度も、90年代的かもしれない。
でも、僕と同年代の人が読めば、単に懐かしいだけじゃなく、頑張ってた過去の自分にもう一度背中を押してもらえる物語になっている。そして90年代を新しいものとして捉えている今の若者には、シンプルに楽しんでほしい。接する方法は時代とともに変わっても、推したい気持ちは変わらない。こんな風に行きつ戻りつサブカルチャーは、というかカルチャーは続いていく。
『東京の生活史』(筑摩書房)が作られたのは、編者である岸政彦さんが3年前にツイッターでこうつぶやいたのがきっかけだった。
「東京で、いろいろあるけど、一生懸命暮らしてるひとの人生を聞きたい。」
出版社が手を挙げ、500弱の応募の中から150人が選ばれ、聞き取りの方法を学び、聞き手自身が見つけてきた語り手に、話を聞きに行く。人口1396万のうちの、”わずか”150人が「東京」について語ったこの本は、1200ページを超える。
目次を眺めて気になった人からランダムに読む。語り手と聞き手の距離感がそれぞれ違うので、文体も様々だ。両者の関係性やプロフィールなどはあえて書かれていないが、読んでいるうちに、語り手が生きた時代や経歴が少しずつ見えてくる。戦後の混乱を生き抜いた人。迷っている人。故郷や親が苦手だった人。ラッキーだった人。日本のサブカルチャーを体現している人。差別と向き合った人。成功した人。達観している人。
「知らない人の中で、ただ親切を糧に生きていったほうがまだいいじゃないかって」。そんな理由で、家族と離れて一人で暮らす人がいた。共感とはまた違う「なんとなく分かる」この感覚はなんだろう。逆に「なぜその選択肢を?」と全く理解できない人もいて、それはそれで引き込まれてしまう。そして本の厚さとともに、どの人の人生も誰とも似ていないという、当たり前の事実に圧倒される。
読み進めていると、無性に誰かの話を聞いてみたくなる(岸さんの本を読むといつもそうなる)。パッと頭に浮かんだのは、東京で暮らす時間の方が長くなった9つ上の兄。コロナ禍で帰省がいつになるのか分からないけれど、じっくり話を聞く時間が取ろうと思う。
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