羊と鋼の森
お気に入りの曲を選ぶ。曲順もじっくり考える。誰かにプレゼントするときは、奮発してノーマルじゃなくてハイポジに。スマホに何百曲も放り込むようになった今から振り返ると、とても手間が掛かるやり方。でも、音楽に向き合う気持ちは今よりもずっと真剣だったなと、『日本カセットテープ大全』(辰巳出版)を読んで思い出しました。メーカーや工場への取材も読み応えがあり、カセットテープのデザインの変遷も、時代の移り変わりが感じられます。ちなみに、演歌を好む方にとっては、カセットテープはまだまだ現役です。
宮下奈都さんの『羊と鋼の森』(文藝春秋)は、音楽に全く縁のなかった主人公の青年が、偶然出会った調律師の仕事に魅せられ、自らもその道を歩んでいく物語です。ピアノの音に自分が生まれ育った「森」を感じた不器用な青年が、コツコツと仕事を続けていく中で出会う、大切な「音」と「人」。ゆっくりと成長していくその姿に希望を見出すのは、調律という仕事がこれから弾いてもらうための、未来に開かれた仕事だからなのだと思います。
序盤で引用される、原民喜の言葉があります。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを堪えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」。
師と仰ぐ調律師に目指す音を尋ねた時に返ってきた言葉ですが、そのままこの物語にも当てはまります。やさしく静かだけれど、強い。心に響いた文章に付箋を貼っていたら、付箋だらけになってしまいました。
『羊と鋼の森』を読んで思い浮かべたのが、山本勇樹さんが監修した『クワイエット・コーナー』(シンコーミュージック)。「心を静める音楽」をコンセプトに、国も時代もジャンルも超越した、静かで美しい音楽を紹介したディスクガイドです。あまり知られていない音楽家も多く紹介されていますが、マニア向けの本ではありません。お気に入りのエッセイ集のように、音とその回りを楽しむための本。コンピレーションCDも出ていますので、雨の日の午後、小さな音で静かな旋律に耳を傾けながらの読書は、いかがでしょうか。
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