【短編小説】犯罪卿はコンポートが食べたい
こんな夢を見た。
津川高徳を殺した。だって仕方がなかった、彼奴が突然出資を止めるとか抜かしやがるからいけないんだ。俺の店に一体どれだけの価値があると思っているんだ。俺の夢を、俺の人生を、まるで虫でも潰すみたいに軽々しく。くそ、くそ。死んで当然だ、ざまぁみやがれ。
しかし困ったことになった。人を殺すと死体が残る。衝動的な犯行だったから、手袋も帽子も防護服も身につけていない。頭を割られて事切れている津川高徳を見下ろす。掴みかかった胸倉に、殴りつけた頬に、俺の痕跡はどれほど残っているのだろう。日本の警察は優秀だと言うし、ちょっとやそっとの証拠隠滅では多分誤魔化しきれない。殺人って一体どれくらいの罪で、何年服役することになるんだろう。保釈金はいくらなんだろう。いずれにせよ、殺人犯のレストランの末路なんて知れている。そんなことは、そんなことはあってはならない。
あまりにも動転していた。だから、どういうわけで犯罪卿に証拠隠滅プランを依頼するに至ったのか、全く覚えていない。
「死体をコンポートにして、道の駅で売りましょう」
犯罪卿を名乗る女は、まるで珈琲を頼むかのような気軽さで、そんな提案をよこした。
「………は?」
「コンポートですよ。フランスの保存食で……、あ、お肉の場合はコンフィでしたっけ?お肉を油に漬けて、低温でじっくり揚げるんです」
女は椅子にゆったり腰をかけて、あまつさえ優雅に脚まで組んでコンポートの説明をしたが、何もコンポートの意味がわからなかったわけじゃない。人肉をコンフィにするなどという非現実的かつ非人道的な提案が、こんなすまし顔から発せられたことが信じ難かったのだ。
「こ、これを、死体を料理しろって言うのか」
「料理「しろ」だなんてそんな。これはご提案ですよ」
「巫山戯……っ、人間なんか食べられるわけがないだろうが」
「食べられないなんてことはないですよ。カニバリズム、ってご存知ないですか?立派な宗教儀礼ですし、敬意を払うべき食文化です」
「そんなのは邪教の類だろ」
「邪教だって宗教で……、あ、もしかして宗教上の理由がおありですか?大丈夫ですよ、食べるのは貴方じゃなくて道の駅のお客様です。貴方は調理するだけでいいんです」
そもそも人肉を調理するというところに倫理的な抵抗があるのに、女はそんなことにはまるで思いも至らないかのように、死体にちらと視線をやりつつ軽やかに話を進めてゆく。
「体重は大方70kg弱、といったところでしょうか。骨が7kg、血液が5kgと仮定すると、取れる肉の総量は58kg程度……、あれ、そういえば臓器ってコンフィにできるんでしたっけ?まぁ、貴方はシェフのようですし、その辺りの勝手はご存知でしょう」
「……人肉なんか調理した経験はない」
「鶏肉みたいなものですよ」
女が何でもないことのように言うので、今度こそぎょっとしてしまった。私の反応を見た女がクツクツと喉で笑う。全く面白くない。
「さて、ほかに妙案もないようですし、早速取り掛かっては如何です?このままでは片付ける前に夜が明けてしまいます」
「か、片付けるってどこに」
「一般的に、食材は冷蔵庫に入れるものではないでしょうか?」
言いながら女は、調理場奥の冷蔵室を指差した。その暗室には、俺が選び抜いた美しい食材たちが眠っている。そこにこれを、死体を入れろと言うのか。
「殺害現場がキッチンなのは僥倖でしたね、運搬の手間が省けます」
保管に調理場の冷蔵庫を使うということは、調理も調理場でさせるつもりなのだろう。俺の人生の結晶であるこのレストランで。俺の聖域で。
そんなのは我慢がならない。棚から包丁をぞろりと抜いて、切っ先を女に向ける。そうだ、最初からこうしたらよかったのだ。
「馬鹿げてる。犯罪の専門家だか何だか知らないが、ただの頭のおかしいクソ女じゃねぇか。ゴタクはもう良い、こんなもんは手っ取り早く山に埋める。お前は黙ってこの死体を車に運べ」
「自分のキッチンで死体処理するのが嫌だなんて我儘仰らないでくださいよ、峰元雨洞さん」
名前を言い当てられて、切っ先がびくりと揺れた。どうして名前を知っている、名乗ってなんかいないのに。女は刃を向けられているとは思えない程穏やかに、しかし若干気だるげに話を進める。
「私だって不本意なんですよ。殺人計画の立案ならまだしも、うっかり殺してしまった死体の隠滅なんてあまりにも退屈です。おまけにこんな、子供のお守りみたいなことをする羽目になるなんて……。はぁ、事件自体がこんなに粗末では千歳さんに見つけて頂ける見込みもありませんし……」
「な、何をわけのわからないことを」
「「ヴィーガンズ・ハム」を観た後でなければ、こんな依頼受けもしなかったんですよ?ご自分のラッキーを少しは自覚されては如何でしょう」
一体何を言っているのか分からない。分からないが、俺を全く恐れていないことだけは分かる。何故? 丸腰の女がそんなに余裕綽々でいられる? 何か罠が? 或いは仲間がいるのか? 分からない、分からない。武器を持っているのは此方で、主導権を持っているのは此方の筈なのに、何故か冷や汗が止まらない。女の翡翠色の瞳が、ぱち、と俺を射抜く。
「死体が二度と見つからないようにしたいんでしょう?」
言いつつ、女がゆらりと立ち上がる。こつ、とヒールがフロアタイルを叩く音。耳元のピアスがちゃりりと鳴る。
「でしたら、すっかり食べてしまうのが一番ですよ。山に埋めても海に沈めても、誰にも見つからないとは限りません。そんなリスクとストレスを、この先ずっと抱えて生きていくおつもりですか?」
「それは……」
こつ、こつ、ヒールを鳴らしながら女が此方へ歩み寄ってくる。女が間合いに入ったと言うのに、俺は包丁を振るうどころか少しも動かすことができず、刃先は女の指が示すままに横に流された。
「死体を燃やせば灰が残ります。薬品で溶かすという方法もありますが、そんな激薬を業者でもない一般人が仕入れるのは、あまりにも文脈を外れています」
女の言葉には無視できない拘束力と説得力があった。女が出した結論は至って論理的な着地だったのだ。そうだ、女の言う通りだ。死体は食べてしまえばいい。俺にはそれが、できる。
「料理人が死体を調理する。文脈に沿った、美しい完全犯罪計画だと思いませんか?」
女はそう言って、軽やかに笑う。今にもふつりと消えそうな下弦の月に似た瞳に、ふと、この女の肩書を思い出した。
「やっぱり、商品名はコンフィよりコンポートの方が良いと思いません?可愛い瓶に入れて、手作りっぽいラベルも貼っちゃいましょう」
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