【小説】永夏島殺人事件.2
「中渡旅館っすよね? すぐ着きますんで、のんびり寛いでてください」
タクシーに乗り込むなり運転手に宿泊先を言い当てられて、伽久音は思わず面食らってしまったが、「観光客は皆中渡に行くんすよ、この島の旅館はあそこだけっすから」と種明かしをもらって、納得と共に背もたれにゆっくり背を預けた。運転席のヘッドレストに引っ掛けられた名札には、人懐こい笑顔を浮かべた運転手の写真の横に「海野 和久」と書いてある。
船を降りてすぐにタクシーを捕まえることができたのは僥倖だった。観光客が来ることをほぼ想定していない船着き場には、バス停もタクシーの停留所も無く、船着き場のスタッフには「タクシー?呼んでもいいけど、来るまで一時間はかかるよ」と脅された。待ちつつ情報収集をするのも悪くはなかったが、碌に冷房も効いていない待合室には世間話に応じてくれるような人もおらず、そうでなくても暑さで身体が参ってしまいそうだった。このタクシーが通りかかってくれなかったらと思うとぞっとしない。
タクシーは、車通りが殆ど無いながら広い道路を、法定速度を守って走る。ラジオも音楽も流さないのは、海野が喋り屋だからだろうか。
「あっそういえば、後ろ暑くないっすか? 冷房足りてます?」
「大丈夫です。お気遣い有難うございます」
「いやいやぁ、暑かったら言ってくださいね。ずっとこの島にいるとね、暑さの感覚が馬鹿になっちゃうんですかね、本土の人と俺らではだいぶ体感が違うみたいすから、外の人相手に同じ感覚でやっちゃだめだって言われてるんすよ」
船着き場の待合室の冷房が殆ど効いていなかったのはこの所為か、と思い当たる。
「運転手さんは、ずっと永夏島にお住まいなんですか」
「そうっすよー、生まれも育ちも永夏、生粋の永夏っ子っすよ」
それは頼もしい。
「永夏島のことは、外でも少し調べてはきたんですが、情報が少なくて。色々教えて頂けると嬉しいのですが」
「もちろん、なんでも聞いてください!あ、因みに俺は独身だし彼女いないっす」
「はぁ」
「そこはもうちょっと食いついてほしかったー」
海野がからからと笑う。
「永夏島は、名前の通り永遠に夏が終わらない島だというのは本当なんですか?」
「本当っすよー。本土は気温が暑くなったり寒くなったりするんすよね?永夏は全然、ずっとこんなかんじっす」
言いながら海野が外を指す。真っ直ぐな道路の、先で陽炎が揺れている。
噂は本当だったらしい。瀬戸内にありながら、この島だけがまるで熱帯の気候なのだ。永遠に夏の島。その原因はいまだ不明、長く気象学者の研究対象になっていると聞く。その割には、永夏島に関する研究論文がどこにも見当たらない。現代科学が匙を投げたと取るべきか。
「ずっと夏なんて、大変ですね」
「そんなことないっすよ。寧ろ本土の方が、暑くなったり寒くなったりするなんて大変じゃないすか?時期で服変えなきゃいけないって、ほんとすか?」
「それは、マジですね」
「やべー」
タクシーは林を抜けて、市街地に入りつつある。車窓の景色が人工的なものに移り変わってゆく。
「そういや、近々お祭りがあるんすよ。お兄さんラッキーっすね」
「お祭り?」
「永夏様の祭りっすね、三十年に一度の、盛大なやつっすよ。みんなで踊って、歌って、でっかいお焚き上げもやるんす。永夏神社から神輿が出てー、この通りを下って海まで行くんでー、当日はタクシーここ通れないんすよねー」
「永夏様……」
「あ、お兄さん、永夏様は分かるっすか?」
分かる、と言えるほど、きちんと話を聞けなかった。言葉を詰まらせる息果を、無理に尋問などできなかった。
「この島の神様なのだと、聞いています」
「そうそ、この島の守り神様っす。永夏が永夏なのは、永夏様がいらっしゃるからこそ」
赤信号に差し掛かり、タクシーがゆるやかに止まる。エンジン音がわずかに静まる。
「お兄さんも、誰かに、会いに来たクチっすよね?」
海野は此方を振り向かない。
「……観光客は皆、そうなんですか?」
「外から来る人は大体そうっす」
伽久音は肯定も否定もしなかった。会えるなどとは思っていない。この科学の時代に、そんな夢物語を真に受けるのは馬鹿げている。
現代科学が匙を投げるこんな島ならば、何が起こってもおかしくない、なんて、希望的観測。
「あ、でも、こないだ来た刑事さんは違ったなぁ、あの人ほんと何しに来たんだろ」
「……刑事?」
ぱ、と信号が青に変わる。車窓から見える景色がぬるりと滑りだす。
「なんか、本土で起こった殺人事件?の捜査?って言ってたかなぁ。だったら会っちゃった方が話は早いのになって、お兄さんも思いません?」