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【ドラマ記録】餅撒きだってきっとしよう

 以前、精神を壊したことがあります。塾講師の仕事に心が耐え切れなかったようで、手の震え、吐き気、抑うつ状態に陥り、希死念慮が行動に影響を及ぼすまでになりました。線路に飛び込みかけたところで、自分の異常にやっと気付き、産業医面談を経て休職、そのまま退職となりました。
 休職してから、私は実家に逃げ帰りました。そのあと二年程、仕事もせずにずっと実家で療養という名の引きこもり生活を送ることになります。父は単身赴任中で、実家には母と妹がいましたが、二人とも特に何を聞くでも言うでもなく、私を迎え入れてくれて、住まわせてくれました。
 あの時、例えば母や妹に邪険にされていたら、或いは事情を細かに聞かれて「そんなことで?」なんて言われてしまっていたら、大げさでなく、私は今頃生きていなかったかもしれません。無条件で私を休ませてくれる家があって、家族がいてくれたから、私はここまで元気になれたのです。
 胸を打つような訓示や、心が高ぶる叱咤激励といった激しくてアツい救済が、人を元気づけることもあるでしょう。しかし、あの時の私を救ったのは、何も言わずに寄り添って一緒に生活をしてくれる、そういうやわらかな救済でした。

 そういう経験があったものですから、ドラマ「0.5の男」には大変な感情移入をして、一気に完走してしまいました。

 2.5 世帯暮らしとは、親世帯、子世帯に加えて、単身世帯が同居する暮らしのことを指すそうです。このはみ出た単身男が、「0.5 の男」というわけです。理屈は分かるが、単身の人間が0.5 で結婚したら1 、というのは、単身当事者としてはどうにもいたたまれない心地になります。まるで半端ものみたいじゃないか。こっちは一人前に働いているというのに。
 主人公・立花雅治は引きこもりのゲーマーです。一度はゲームクリエイターとして働いていたのですが、激務に身体も精神も壊して退職、今は実家で引きこもっています。実家は古い日本建築でしたが、妹夫婦が移り住むのを契機に2.5 世帯住宅にリフォームすることになるところから、物語は始まります。この変化が立花雅治をゆるやかに変えていくわけですが、生活環境の変化というのはあくまで契機にすぎず、彼を変えたのはじっと彼を見守る父母の優しさであり、無邪気に彼にレンジャーダンスをせがむ甥であり、彼を遠慮がちに頼る妹であり、彼の鏡のようにたたずむ姪です。
 そして立花雅治の変化が、家族を少しづつ変えてゆくのです。やさしさの還元とも、循環とも言えるでしょうか。立花雅治がちょっとづつ家族に寄り添って、それに家族がそれぞれ救済される。

 RADWIMPSの「オーダーメイド」という曲に、こんな歌詞がありました。

またまた僕はお願いしたんだ
「恐れ入りますがこの僕には右側の心臓はいりません。わがままばかり言ってすみません」
僕に大切な人ができて
その子抱きしめる時はじめて
二つの鼓動がちゃんと胸の両側で鳴るのが分かるように

RADWIMPS「オーダーメイド」より

 人間の心臓は左側に一つだけ。大切な人を抱きしめた時にやっと左右が揃う。だとしたらやはり人は、一人でいるうちは 0.5 なのかもしれません。しかし、必ずしも1 が完成形ではないのです。2.5 世帯住宅は2.5 世帯で住むからこそ完成するわけで、立花雅治は、家族に必要な0.5 でした。
 こういう柔軟な救済が望めるのが、「多様性」とか「新時代」ということなのでしょう。いつかこんな単語がなくなるくらい、この価値観が、この救済が、当たり前のものになりますように。

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