国立能楽堂企画公演

恒例の蝋燭能
狂言は磁石、能は竹生島
蝋燭能は、雰囲気としてはいいが、分析的に能を見ることが好みの私向きではない
詞章も読めないので、まだまだ初心者の私には何を言っているのか聞き取れない部分も多く、それらがそのままになってしまう

さらに脇能は他の修羅物や鬘物などに比べて、ストーリー性はあまりないので、余計に、楽しみにくい

そうしたなかでも
やはり、オペラを主語の演劇とすれば、能は述語の演劇だとおもう。場を作っていく、言い換えれば荘厳していく演劇であり、それが最も典型的に現れるのが舞だろう

こうした舞は、荘厳としての舞、さらに結界を結ぶための舞とも考えられる

もう一つ、能がよく表している日本文化の構造に「見立て」「実は」かある
前シテと後シテはほとんどの場合「実は」だと考えられる
つくりものも見立てであるし、演劇としての能の各所に見立てが仕掛けられている
このあたりの虚実皮膜の間とか虚虚皮膜の間に極めて多くの層や価値観やストーリーが埋まっているとして見れば脇能も楽しめそうだ

日本文化と言えば、神仏習合もいわば「見立て」であり「実は」であるということもできる
今回の竹生島も竹生島神社と宝巌寺との習合の地を舞台にしている

あと、いくつか
女人禁制の相対化や神宝の奇妙さは目をひいた

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