国立能楽堂6月26日定例公演「熊野」
「なんとやらんこの春は、年古り増さる朽木桜、今年ばかりの花をだに、待ちもやせじと心弱」という美しい言葉で「体調悪いので死にそう」を示すという「美しき言葉」のちから
「読次之伝」「村雨留」「墨次之伝」「膝行留」という小書がつく公演。人は主筋だけではなく小書も生きる
「この春ばかりの花盛り」が宗盛を熊野を誘ってしまう理由であるとすれば「花の罪」という言葉が生まれる。
宗盛が「自らの死」を予感していたとすれば、単なるわがまま男ではなく、自らの死と、熊野の母の死をともに生きているのではないか。「人楽しみ人愁ふ、これ皆世上の有様なり」、桜が散ることへの「あら心なの村雨や」
「車出し」の場面では、動いていないのに動きが見える。熊野と宗盛の同床異夢とでも言うべき姿への想像力
クセでの何も起きていないように見えるなかでの感情の嵐
「いかにせん、都の春もおしけれど、馴れし東の花や散るらん」
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