国立能楽堂「川上」「正尊」

国立能楽堂で狂言「川上」の能「正尊」を鑑賞した

「川上」は野村万作
狂言としては、なかなかに異例の作品
盲目のままであることを選ぶのか、これまで支えてくれた妻との離縁を選ぶのかという選択を強いられる状況。
生きることにおける「選択」を主題化していると考える

妻にとっては、盲目である夫の世話をするということの持つ自分への意味付与という視点もあり得る

神は恩恵を与えるものではなく、選択肢を与えるもの(でしかない)との見極めも。

「正尊  起請文・翔入」
起請文・翔入の小書は、現在の観世流の演能ではほぼ付くもののようだ
家元 観世清和ということで期待も大きい
熊野という場所の聖性 平家の遺恨としての義経の苦境

能における緊張感を楽しむ状況は十分に味わえた
福王茂十郎が務めるワキの弁慶の大きさと、対峙する観世清和によるシテの正尊の強さ、声の張りはさすが

義経が子方ではない舞台は少ない印象があるがどうなのか
前場終わりの囃子方の打ち込みによる緊張感の高まりと、そこでの正尊の佇まいの力が強い

子方が務める静も戦うのは興味深い。静の序の舞にはどのような意味があるのだろうか

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