古筆切@根津美術館
なかなかに地味な展示っぽいからだろうか、いつもの根津美術館に比べると、鑑賞者も少なく、ゆっくり観て回ることができた
しかし、内容は相当面白い
書道は嫌いじゃないというのもあるのだが、日本において、もともとの巻子や冊子を切ってしまって、鑑賞するという発想に驚かされる。
驚かされるというか、もちろん、そうした鑑賞があることは知っているが、改めて考えると奇妙だということになる
切ってしまうという、いわば価値の転倒が起きているわけで、藤原定家が記した源氏物語の注記である「源氏物語奥入」を切ってしまっては、物語の注記としては意味がなくなるはずだが、それが平然と行われる
何を価値とするかがひっくり返っていることになる
その上で、こうして切ってしまったものを改めて再構成して「歌鑑」にするとなると、編集の極致でもありそうだ
また、「古筆見」という存在も面白い。
この手跡が誰のものかを鑑定し、その結果を極札に記すわけだが、そのほとんどが実は誤っているという、その一方で古筆見というもの自体が信頼される存在であり、代々の家として続いたというのも、何だか、ズレが続いていくことで、もう一度、正しさになっていくような奇妙さがある
また、では、この誤った鑑定が無意味で、現在は無視されているかというとそうではなく、正しい筆者を判定するために役立つため「伝承筆者」として、そのまま記述されているというのも、相当に捻れた話である。
また「切」それぞれの名称をどのように付けたのかというのも、地名あり、由来あり、内容あり、所持者ありで、これだけでも「編集」視点からの分析ができそうだ。
古筆切そのものについては、そこにある筆蹟の動きが、書いている人と、その動きが目前に現れるようで、ワクワクする
なかでは藤原俊成の筆が好きだった。
その他、料紙と素紙という違いや、料紙装飾にある継紙、なかでも破継というものは、もはや、時代や地域を跨いでいく総合芸術としても把握できる
展示会場2は、古筆切ではなく、一行書、特に大徳寺歴代の門跡によるものが多く掲げられていた
また、画家としてイメージされる狩野探幽の書の力強さも目を引いた
2階では「初月の茶会」をテーマに、富士山などの吉祥を取り合わせる編集を興味深く見ることができた